映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 非愛国的な米国映画『バトル・オブ・ノルマンディー』 ティノ・ストラックマン監督

映画の地球
 非愛国的な米国映画『バトル・オブ・ノルマンディー』 ティノ・ストラックマン監督

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 表題のごとく米国を主力とする連合軍が敵前上陸を慣行したノルマンディ上陸作戦を主題とした映画。が、上陸に応戦するドイツ軍一大尉の視線から撮られたものだ。とテーマ的には興味津々だが明らかに予算不足が露呈し、リアリティを著しく欠く。B級戦争アクション映画に過ぎない。
 ただ、これを米国の映画人が敢えて制作した意図はなんだろう、とふと思って寸評したくなった。
 映画はロシア戦線における白兵戦からはじまる。反転攻勢に出たソ連軍はタイガー戦車を主力とする機動部隊の攻勢によって、ドイツ軍はジリジリと後退を余儀なくされてい た1944年春からはじまる。つまり、当時のドイツ軍はロシア戦線で苦戦つづきで本来、ノルマンディの防御線に補充すべき武器弾薬もロシア戦線に投入され、経験豊富な兵士たちもロシアに送り込まれることが多かったと暗示される。ノルマンディの防衛戦線はドイツ軍が当初、想定していた防衛能力が著しく損なわれ、かつ連合軍のかく乱作戦によって、連合軍の上陸はカレー海岸かもしれないという恐れから、兵力も分散されていた。さらに、ドイツ軍守備兵の主力はドイツ本国出身の優秀な兵士ではなく、占領したポーランド、ロシアからドイツ系男性を徴兵したすこぶる錬度の劣る兵士であると主張されていた。
 映画はまるで〈栄光〉の上陸作戦を毀損しているのだった。
 たとえドイツ軍 の装備が劣っていようと敵前上陸は守る側の数倍の犠牲が伴うものだ。それこそ特攻なのである。スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』ではその攻める側の消耗の激しさを、遺族がみたら目を覆いたくなるようなリアリズムで描いていたし、ロバート・キャパに、従軍カメラマンとして不滅の栄光を与えた、特攻する連合軍兵士の眼となって撮られた一連の写真でもその苛烈さはあますところなく証言されている。
 しかし、何故、6月6日、いわゆるD-dayの戦闘をわざわざドイツ側の視点から、ドイツ兵士の物語として、この映画を撮ったんだろう、撮る気になったのだろう、資金が提供されたのだろう、と素朴な疑問がつぎつぎと湧いてくる。B級戦争アクションと書いた。ならば、この程度の作品にノルマンディの浜で一度も引き金を引くこともかなわずに倒れ ていった親世代の 栄光を斜から見下ろすような映画をつくる必要があったかと思う。そして、米国はもとよりドイツで公開されても、ドイツ大衆が歓迎するとも思えない。私には非常に不合理な作品に思えてならない。妙な立場の映画であると記憶しておきたい。
▽2011年・102分。