映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 アーティストの評伝映画 1 映画 『ショコラ』 ロシュディ・ゼム監督

 

映画 『ショコラ』 ロシュディ・ゼム監督
 ~キューバ出身の黒人ボードビリアンの生涯

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 20世紀前半の幾年月、パリの夜を掌中に収めた“褐色のヴィーナス”ジョセフィン・ベーカーの毀誉褒貶に満ちた波乱万丈の物語ならたいていの人はしっている。敗戦直後、日本にやってきたベーカーは、戦災孤児をフランスに連れ帰り養母となった話も忘れがたい。欧州のショービジネス界で最初に成功したアフロ系女性(出身は米国)であった。だったら、最初のアフロ系男性がいるはずだ、とは何故か思わなかった。そういうことは指摘されてはじめて気づいたりするものだ。「最初の」と冠詞をつけるには斯くもふさわしい成功の挿話が幾つもないと献呈されはしないし、伝説化もしない。

 本作は、その男性芸人の存在を評伝的にではなくエンターティーメントのけっこうのなかできちんと教えてくれた。
 ほろ苦くも、湿度の低い、じめじめしたところのない心地よい作劇であった。その男の芸名が「ショコラ」、その皮膚の色からチョコレートと比喩されたのだろう。本名はただ「ラファエル」、苗字はない。1865~68年頃、まだスペイン領であったキューバハバナで奴隷の子として生まれた、と言われる。年齢も不詳ということになる。ラファエルとはおそらく奴隷主が便宜的につけたものだろう。そのラファエルが欧州に渡ったのもスペイン商人に買われ、バスク地方の農場の家内労働者として送り込まれたからだ。その農場から逃げ出し国境を越えてフランスの零細サーカス団に雇わ れた、というのがその前半生となるが、その出自にも確証があるわけではない。本人がそう語っただけだ。そのあいまいな分だけ、映画は興行的にも受けそうな挿話を適宜、加味することができる。そのショコラをいまやアフロ系フランス男優として声価をゆるぎないものにしつつあるオマール・シーが演じた。
 ジョセフィン・ベーカーもスペイン男性とアフロ系女性とのあいだに生まれたという出自を知るとき、ともに「スペイン」がひとつのキーワードとなっているが、その辺りをラテン風オタク的に語るのは控えた方がいいだろう。単なる偶然に過ぎない。ラテンオタクの無教養、反アカデミックな姿勢はしばしばうんざりさせれてきた。


 ベーカーもショコラもステージで自らのアイディンティティを創造し磨き上げ名声を高めた努力の才能であり、そこに国籍も出自も超越した汗が結晶した労苦の輝きがあった。
 奴隷の子として育ったラファエルには当然、正規の教育の機会などあるはずがなかった。世間そのものが社会教育の場であった。蔑まれ、下積み労働に汗しながら生きるためフランス語を覚えたのだろう。外国語を早く身に付けようと思えば、恋愛か飢餓がもっとも近道だ。
 ラファエル・・・たまたま入った、というより拾われたのだと思うが、サーカス団での役どころはめぐまれた体躯がアフリカの野生とか獰猛といったものを象徴する、として客引きに使われていただけだ。その点、オマール・シーの肉体は格好の素材を提供した。

 ラファエルの肺腑から絞り出される野卑な〝音”の連なり。ただの記号、観客の乏しい知識に平伏するアフリカの“獰猛”。吠え叫び、サーカスの観客のメインである子どもたちをいっとき安全な恐怖というカタルシスを与えればそれで充分という役回りだった。
 そんなラファエルの前に、聴衆に飽きられ、なんとか打開しなければと焦る落ち目の芸人フティットが現われる。この役をチャーリー・チャップリンの孫ジェームス・ティエレが演じる。場末のうらぶれた芸人の悲哀も、かつて絶頂を極めた時代の残り香もそこはかとかぐわせ、あたりを睥睨する威厳もその小さな身体で演じ切る演技力は、やはり祖父の血筋かと思ってしまう。

 ラファエルもよるべきなき世界を生き延びてゆくためには、このままではダメだと知っている。先は分からないが、どうせ身ひとつ、係累もない自分には賭け、そのものが人生のようなもの、芸人として辛酸を嘗めたフテットについていくのも時の流れだとコンビを組むことになる。そして、シロクロ、デコボココンビは新手のボードビリアンとして逞しくのし上がってゆく。

 音楽家でも俳優でも、あるいは政治家でも企業家でも成り上がりの物語は映画の大きな要素である。そんな現実にはなかなか起こりようもない成功譚、しかし稀に確かに起こりうる話に惹かれるのだ。当たるはずがないと思いながら、ついつい買ってしまう宝くじに夢をみるようなことだろう。
 時に観客の下種な優越感をくすぐりつつ拍手喝さいをうけながらラファエルははからずもアフロ系市民の地位向上に貢献することにもなった。

 ジョセフィン・ベーカーもそうだった。米国の公民権運動のなかで、たとえばアフロ系の盲目の歌手レイ・チャールズ、あるいは俳優のシドニー・ポワチエが果たしたような位置だ。
 ラファエルを演じたオマール・シーの主演作といえば、『最強のふたり』があり、『サンバ』があった。ともに、現代のフランス社会を揺さぶっているアフリカからの不法移民を演じ、したたかで、教養はないが、まっとうな正義感はもっているという底辺労働者の役を演じきた。その逞しさ後姿に不法越境路の困難、苦行をみせながら演じた好演を思い出す。それは、本作の演技にも深みを与えているように思う。
 *2017年1月中旬公開予定。