映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 朝鮮戦争を描く 1 イ・ジェハン監督『戦火の中へ』学徒兵たちの身を張った籠城戦

朝鮮戦争を描く 1

  イ・ジェハン監督『戦火の中へ』

     学徒兵たちの身を張った籠城戦

f:id:cafelatina:20170922200456j:plain 朝鮮半島の全域がほぼ戦場となった朝鮮戦争を描いた映画は、国連軍の中核であった米国軍兵士の視点から撮られたハリウッド作品からはじまり、やがて韓国、北朝鮮で制作されるようになった。

 けれど韓国映画(北朝鮮は論外のプロバカンダ)で国外に出ていける質を備えた作品は1990年代以降、韓国映画の隆盛まで待たなければならなかった。
 3年に及んだ戦争であったから、多くの数知れない悲劇、そして英雄譚が語られることになるのは当然だろう。われわれ日本人に、戦後復興を促した〈漁夫の利〉ともいえる戦需景気の恩恵をうけたことは確かだが、はたして朝鮮戦争の諸相にどれだけ注視した人があっただろうか・・・。それは本当に心もとないものであったはずだ。否、当時の日本人はまだ敗戦の痛撃のなかで生きるのに精いっぱいの状況であったから隣国の戦争とはいえ、ただただ望見するしかなかっただろうし、報道もGHQに検閲を受けているなかでは実相を知るには限界があった。
 90年代以降、韓国で陸続と制作されはじめた朝鮮戦争物映画によって、われわれはあらためて半島の戦禍の在りよう、その一端に触れはじめたのだった。それが映画的に脚色され、興行的にデフォルメがあるにせよ、「戦争」を韓国人がどのように認識し、回顧しているものと各層の断片なりをはじめて知るようになった。それは素直に貴重な体験であった。本作もそうした体験を蓄積を与える一編であった。
 冒頭、壮絶な市街戦、白兵戦からはじまるが、そのクオリティーの高さはなかなかのものだ。日本映画でこれだけの市街戦を描ける映画人はいないだろう。これだけで引き込まれる。そして、この戦闘シーンのなかで軍属的な補助兵士として銃弾運びなどに使役していた学生オ・ジャンポム(チェ・スンヒョン)が否応なく、自らを守るためにも兵士にならざるえない状況というものが、映像は畳み掛けるように観る者を説得するのだ。このあたりの運びはテンポもリズムも素晴らしい。
 
 物語は北朝鮮人民軍が破竹の勢いで南進を進め、韓国軍はいまやプサンまで後退させられているという状況のなかで起きた韓国学徒兵約70人の死闘を描いたものだ。女子中学校に立てこもり怒濤のように押し寄せてくる人民軍を、迎討つ戦争映画で、学徒兵たちはほぼ全滅する。皆殺しとなることが明々白々な戦いを強いられる・・・と映画の序章ではっきり示されているわけだから、短い休息の時間に無理なく学徒兵個々の、まだ人生をはじめたばかりのささやかな来歴がささやかに語られる。それがささやかであればあるほど悲劇性は増す。
 実録物としてみれば、そうとう脚色されていることは分かってしまうけど、その戦闘そのものが事実であったという重みがそれを許容する。
 心もとない〈戦力〉でしかない学徒兵たちをまとめる役を、一度、市街戦の弾雨のなかに身を晒したという体験だけで急きょ中隊長として任命されるオ・ジャンポム役をKポップスでスターらしい通称T・P・Oことチェ・スンヒョンの演技がなかなかいい。筆者にとってT・P・Oもチェ・スンヒョンも初見である。
 元々、まじめで控えめな性格であった学生が戦火のなかで急速に成長し、そして英雄的な死を迎えるという話はいかにもの流れだが、モデルがあったと強調されれば、そうかと首肯するしかない。
 元来、韓国映画、特に現代モノ、あるいは李朝期の宮廷モノにほとんど感心したことのない私だが、朝鮮戦争モノだけは、どこかで襟を正してみたいと思っている。筆者の父母が結婚して間もない時期の戦争ではあるが、日本の復興が朝鮮民族の大きな犠牲による戦争特需によって今日の繁栄につながる礎が築かれたという事実を鑑みれば、やはり感情移入してみようという気になる。
 本作でもっともリアリティが欠くと思えたのは学徒兵たちを攻撃する人民軍の隊長だろう。政治局との対立、学徒兵への共感、銃弾
飛び交うなかで平然と闊歩するかのような著しくリアリティを欠く役柄にはすこぶる違和感を覚えた。本編のなかの異分子としか思えかった。こういう存在を設定するのは韓国で受けるのかも知れないが、海外でのまっとうな批評家はそれを排するだろう。
▽2010年制作・121分。