映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球  Antifaとウェーザマン、米国の混迷のなかで 映画『ランナウェイ』 ロバート・レッドフォード監督

映画『ランナウェイ』ロバート・レッドフォード監督・主演・製作

f:id:cafelatina:20170920055340j:plain トランプ米大統領が有力候補として共和党の予備選を勝ち抜いていた時期かた極右派のあらたな台頭があった。それは旧来の白人至上主義を標ぼうする勢力を表舞台に引き出すかたちで急速に勢力を拡大してきたことは読者も良く知るところだろう。そして、そうした極右派へのカウンターとして、暴力を厭わない匿名の集団、日本では黒い衣装で顔も覆った集団として印象づけられているがAntifaを名乗る極左派ともいえる勢力の台頭を促した。米国は混迷を深めていることだけは確かだろう。

 Antifaの過激性をみていて私はベトナム反戦運動の昂揚期に米国社会に衝撃を与えた極左グループ「ウェザーマン」のことを思い出さないわけにはいかなかった。そのウェザーマンの活動家たちが高齢者となっている時期を描いた映画『ランナウェイ』のことを思い出した。以下は、だいぶ前に書いたものだが、あらためて掲載したいと思った。
 
 昨秋、ハリウッドを代表する俳優兼映画監督のロバート・レッドフォードが俳優からの引退を発表した。なんとなく、そんな予感を覚えさせたのが本作『ランナウェイ』における山林を走る心もとない足取りをみてからだ。それは渥美清さんが最後の「寅さん」映画でみせた動かない、腰を降ろしたシーンの多さをみたときに覚えた潮時のカットであった。
 レッドフォード、今年80歳になると思う。近年の映画への関わりを観察していると、映画を通して自分の生きてきた時代を批評しておこうという姿勢が顕著だったと思う。
 本作は2013年の作品だが、レッドフォードが主演、監督、制作の三役をこなした最 後の作品となるだろう。
 米国政治史のなかでいまも全貌が明らかにされているとは思えない過激派集団「ウェザーマン」。米国富裕層の出身の高学歴の子弟たちによって組織されたテロ集団だ。これを真正面から取り上げたということで注目せざるえない。
 米国で「ウェザーマン」を扱った映画が他にも撮られているかも知れないが、日本で公開されたのは本作のみだろう。レッドフォードの「ウェザーマン」に対する評価はけっして否定的なものではないように思える。はっきり主張しているわけではないが、ベトナム戦争後期の時代の熱狂が必然的に生み出した良心的なインテリの若者たちが活動を推し進めた結果、自らの生命を賭して過激化せざるえなかった。権力に追いつめられた彼らは地下活動を強いられるなかで、より少数精鋭主義に走り、やがて許されるべきではない爆弾テロを選択していった、という必然の流れがあっただろう、とレッドフォードはみているようにも思うのだ。でなければ、彼の映画人生の最晩期でわざわざ本作を制作した動機が弛緩するからだ。
 当時、米国は徴兵制度下にあった。ベトナムに介入すればするほど若者の死を生み出して いた状況のなかで反戦運動は若者自身が生き残るための切実な闘争であった。そうした若者の切実な声が次々と政府によってつぶされてゆくなかで、「ウェザーマン」は遵法闘争を捨て武装闘争に入ってゆく。彼らの敵は政府であり企業家であり、資本主義との戦いであった。キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが「ウェザーマン」のメンバーにニューヨークで、「この国で革命を、冗談は止せ」笑止、と諭されたらしいが、血気にはやる若者たちには通用しなかったようだ。 
 やがて、映画の発端となる活動資金を工面するため銀行強盗を慣行し、その過程で守衛を殺害してしまう。この事件によって「ウェザーマン」のコアな活動家たちはFBIの追及を逃れ、地下に潜伏、それは約30年の長きにわたった。
 彼、彼女たちは本名を捨て他人に成り代わって生活していた。その一人、女性活動家が闘争生活に疲れ自首したことによって潜伏中の全国に散っていた「ウェザーマン」たちの生活に波風が立つ。その余波を受けたひとり、いまは地方の穏健な弁護士を稼業とするジム・グライド(ロバート・レッドフォード)がいた。
 アクティブであった元活動家たちはみな初老に入っている。深く刻まれた皺にながい逃走生活の悔恨そのものが象徴されているようだ。
 ジムは、かつて同志であった女性と恋愛関係にあり、ふたりのあいだに女児がいた。その娘探し、そしてその母親探しも本作に奥行を与える要素になっている。
 哀しいかな人はみな老いる。自分たちの闘争すら大学の現代史の講義のなかでかろうじて生きる叙述となってしまった。学生たちは〈伝 説〉として興味深く聞くだけで、もはや「ウェザーマン」の主張に耳を傾ける者はいない。元活動家たちも成長する子どもたちの未来を思えば自ら旗印を下げるしかない。ということを言葉で直裁に語ればなんの説得力ももたないことを、老いた元活動家たちの生活をみせることで説得力をもたせている。各世代の葛藤として「現実」をそれぞれが問題を直視するとき、そこに感動の発芽がある。
 レッドフォードは、オリバー・ストーン監督とは違った視点から米国現代史をみているように思う。
 
 Antifaたちの活動の激化とともにまた米国ではウェザーマンの活動が再検証されるような気がする。これを制作した時期、レッドフォードはAntifaなどという組織が出てくるとは夢想だにもしなかっただろう。t