映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 ラテンアメリカの映画 1 メキシコの女優エルピィデア・カリロのこと

メキシコの女優エルピィデア・カリロのこと

yjimage (2) 年の瀬、掃除も兼ねた不用品の処分をしていると、一群のVHSビデオに出会う。それは主にラテンアメリカを舞台にした米国映画で1980~90年代に制作されたものだ。すでに繰り返し観たので内容は十分、把握している。そして、何故、それらのVHSがかたまりとなって捨て置かれていたかといえば、多少の時差はあれ冷戦末期、ラテンアメリカ諸国が悪辣な軍事独裁政権下にあった時代に材をとって制作された、いわば“抵抗”の映画であったからだ。その中から次の3本の映画を脇に取り置いた。
 南米パラグアイ軍事独裁下の人権犯罪が取り上げられている『愛と名誉のために』(1983年*ジョン・マッケンジー監督*リチャード・ギア主演)。原作は『第三の男』で知 られる英国の作家グレアム・グリーンの「名誉領事」。ギアが後年、中国共産党政権の暗部を指弾する映画に積極的に関わったことに繋がってゆく、その予兆を秘めた作品だ。ともに“独裁”がキーワードだろう。
 中米エル・サルバドルの内戦へ関与する米国の立場を批判的に描いた『サルバドール』(1986年*オリバー・ストーン監督*ジェームズ・ウッズ主演)。ストーン監督の作品のなかでは、私には批判的にしか観られない一作。理由は、作品中に起こる様ざまな事件はそれぞれ紛れもない事実であったが、それらを映画の時間の枠内に時差を無視して取り込んだご都合主義にいささか辟易した。
 経済的に疲弊するメキシコからの不法越境者たちを描いた『ボーダー』(1981年*トニー・リチャードソン監督*ジャック・ニコルソン主演)。米国映画にとって今日、麻薬密売絡みで繰り返し描かれることになる米墨国境地帯は主要な舞台だが、その現実を社会的なアプローチで撮った初期の佳作だ。英国のリチャードソン監督が客観的な視点で誠実に話をまとめていた。
 ・・・の3本だ。
 何故、その3本かといえば、理由はいずれもメキシコ出身の女優エルピィデア・カリロ(Elpidia Carrillo)が主演女優、またはそれに準じる配役を得ていたからだ。
 日本ではアーノルド・シュワルツェネッガー主演で大ヒットし続篇も制作された『プレデター』(1987,1990)に主演女優として出演、広く知られるようになった女優だ。
 1961年生まれのカリロにとって20代の仕事がもっとも際立っていた。 
 『ボーダー』では仕事に倦んでいる国境警備隊の中年ポリス(J・ニコルソン)に青春の覇気をそこはかとなく取り戻させてしまう可憐な未婚の母という、まるで「聖女マリア」のような役柄をこなした20歳のカリロ、23歳の『愛と名誉~』では名誉領事の若き愛人を演じ、26歳では戦火のエルサルバドルでボランティア活動をつづける気丈な女性を演じていた。
 1990年代以降 は助演、またはネームバリューの大きさを観客寄せとして使われるような小さな役での出演がつづき、英国の社会派映画監督ケン・ローチがはじめて米国でメガフォンを撮った『ブレッド&ローチ』(2000年)で、メキシコ系米国人役を演じて以降、日本ではまず忘れられた存在となってしまった。30代を迎えてからリアリズムでいうのだが、カリロの美貌は急激に衰えた。1995年、米国在住ヒスパニック家庭の叙事詩ともいえるドラマ『ミ・ファミリア』(グレゴリー・ナヴァ監督)に出演したとき34歳だったが、それはすでに顕著にカリロはなにか病いに冒されているのでは、と思えるほど痩せていた印象をもったものだ。そして、私も彼女の存在を忘却しかけていた。
 ところが、日本で は公開もされずDVDも発売されていない1998年のメキシコ映画『ラ・オートラ・コンキスタ』でアステカ王モクテスマの妻であり、後年、スペイン征服軍の武将の妻となるイサベル夫人を演じたカリロの姿をメキシコの映画館で観た。それは鮮烈な印象であった。そこでは20代の精気とともにアステカ貴族の威厳、風格すらあった。しかし、それがカリロの“雄姿”の最後であったか・・・。以降、注目されるフィルムは少なくとも私には存在しない。この作品は、かつて『プレデダー』に夢中になった世代にも観て欲しい作品だ。