映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 炭鉱を描く 1   トランプ大統領を支持するラストベルトが描かれる映画 『歌え! ロレッタ 愛のために』 

映画 『歌え! ロレッタ 愛のために』 マイケル・アフテッド監督

 ~トランプ大統領を支持するラストベルトが描かれている 

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 米国映画はジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』(1941年)を劈頭に断続的に炭鉱を描いて秀作を遺している。本作もその系列に置くべきものだろう。シシー・スペイセク出世作、女優としての地場を固めた作品だ。シシーが13歳の初心な少女から、5人のこどもの母親になるまでを演じ、その暮らしを支えるためC&W歌手を志し、たくましく成り上がってさまを描く。歌唱シーンも、すべてシシーがアフレコなしでこなし、あっぱれオスカー主演女優賞を射止めた。いま、日本の缶コーヒーだったか...TVのCMで宇宙人役で頻出す るトミー・リー・ジョーンズが夫役を演じて、シシーの演技を引き立てた。
 映画の舞台はトランプ大統領の票田、いわゆるラストベルト、錆びついた地帯、と呼ばれるケンタッキー州の僻地、小さな炭鉱町。現在も採掘がつづけられている地域だ。米国は廉価な労働力と深堀せずに採掘できる利点によってなんとか採算ベースを維持している。トランプ大統領は選挙公約で「パリ協定」からの離脱を宣言し、それに賛辞し一票を投じた労働者の多かった地方だ。
 シシー演じるところのロレッタは、炭鉱夫家庭に生まれた。映画の原題は、「炭鉱夫の娘」であり、映画の最後でシシーによって歌われる歌「炭鉱夫の娘」が表題に採れた。実在のC&W歌手ロレッタ・リンの半生をモデルとした映画で あった。「炭鉱夫の娘」もリンのヒット曲だ。
 ロレッタの父が身を粉にして働く炭鉱は小規模でいかにもという感じの斜陽産業の気配。労働組合の存在すらなく、炭鉱夫の健康に留意した態勢もない。現に、ロレッタの父親は肺を患って若死にしてしまう。炭鉱夫から支持されたトランプ大統領だが、「パリ協定」から“果敢”に脱退を宣言したほどだから、労働者の環境衛生を改善するための予算など組まないだろう。
 若死にするロレッタの父親が形成した家庭は子だくさ ん。貧乏人の子だくさんとは良くいったもので、家族のプライバシーなど存在しない状況だ。ロレッタに高等教育は望みえない。貧しい家庭環境から抜け出そうと思えば、家出するか、言い寄る男の仕事、あるいは言い寄ってきたときの甘言に賭けるしかない。ロレッタは14歳で結婚し、子どもまでもうけてしまう。自分も母親と同じ道を歩むのかという絶望、諦観はすぐ生まれただろう、貧困の連鎖……。
 ロレッタの母親を演じる女優さんを観ていたら、おそらく米国のインテリなら誰でもウォーカー・エバンスの写真、米国写真史で特筆される「アラバマ州小作人の妻」が思い出されただろう。頬がげっそりを殺げた顔、視線は力なく虚ろだが、それでも微笑もうと努力している。そんな痛々しい 写真だ。時は大恐慌時代の1930年代に撮られたものだが、大戦後も 、それはあちこちで観られた顔だろう。
 しかし、ロレッタは母親の道を歩むことはなかった。貧窮する生活のなかで彼女は幼いときからラジオから流れるC&Wのヒット曲を口ずさんで自らを励ましてきた。好きこそものの上手で、悪戦苦闘の末・・・といっても映画の時間軸のなかではトントン拍子のテンポだが、人気歌手に成り上がる。
 そして、彼女の創る歌は生活の実体験に根ざしている。貧しい労働者の娘として歌う。C&Wが米国大衆にとって永遠の生活BGMであることの重さ、意味もまた良く理解できる映画だ。
 しかし、映画の筋建ては凡庸。シシーの熱演だけが目立つ。故に本作では、シシーにだけオスカーの栄誉が与えられた。
▽1980年・124分。