Ω 映画の地球 核戦争と映画 1 『原爆下のアメリカ』アルフレッド・E・グリーン監督
『原爆下のアメリカ』 (原題Invasion,U.S.A) アルフレッド・E・グリーン監督
レンタルビデオ屋さん供給用にと、倉庫払底作業のなかから発掘されたようなB級SF映画。邦題、原題(侵略,U.S.A)もまた、なんとも工夫のない直裁なものだが、そこに冷戦時代の“熱戦”が象徴されているとみてよいのかも知れない。
全米を魔女狩りの恐怖で覆った非米活動委員会が本格的にはじまった1953年制作の作品ということでも見落とせない。世は"赤狩り”の季節であり、隣人を疑え、という殺伐した世相下で、はじめて「核戦争」を主題とした映画が制作された。核実験で地層が変化し蘇生した原始怪獣が日本列島を襲う映画『ゴジラ』が制作されるのは、その翌年だ。
シベリア経由でアラスカに侵攻した国を映画では特定していないが、ソ連に決まっているわけだが、その軍人たちの制服や仕草・動作、儀礼など間違いなくナチドイツ軍から援用されている。“鉄のカーテン”で遮蔽された向こうの現実は当時、隆盛期のナチズムと対置しうる恐怖感が米国にあった、とみるべきか。非米活動委員会の存在は、その裏返しのようなものであるわけだ。
映画は「近未来」モノとなるが、近未来の「映像」はすべてアーカイブ映像の流用という安易さ。
ニューヨークのとあるバーで語り合う男女6人の井戸端会議的な時局談義の最中、店内のテレビが「アラスカが軍事侵略された」と臨時ニュースを流す。以降、米国各都市が次々に原爆が投下されてゆく。ニューヨークも容赦しない。しかし、映画での「原爆」は通常兵器の巨大版という扱いで放射能がもたらす被害などまったく考慮されていない。つまり、この時期、米国映画界はヒロシマ・ナガサキの核被害の実態はまったく共有されていなかった。政府自身が隠していた。この時代を諷刺したパロディ映画『アトミック・カフェ』が後年制作されるが、権力犯罪の一端を例証できる映画のサンプルともいえるのが本作だ。
冷戦下、米国は核実験を国内の砂漠地帯で核実験を繰り返す。その際、多くの兵士が放射能被害にあっている。兵士自身もそれに気づかず退役後、深刻な後遺症のなかで苦しんだ。そして、政府に責任を問うでもなく沈黙と苦悶のなかで死んでいった。民衆の無知は、こうした映画からも生み出されるということだ。
日本でも1954年に公開されているということだが、当時、どんな批評が出ていたのか興味を抱く。B級映画として無視されたのだろうか? お時間のある読者がいたら是非、調べて欲しい。 *2016-10-29
映画の地球 布教と映画*マーティン・スコセッシ監督『沈黙』~カトリック諸国での反応
映画の地球 布教と映画*マーティン・スコセッシ監督『沈黙』~カトリック諸国での反応
映画の地球 ラテンアメリカの映画 7 米墨国境地帯は映画の宝庫 『ノー・エスケープ ~自由への国境』 ホナス・キュアロン監督
映画『ノー・エスケープ ~自由への国境』 ホナス・キュアロン監督
2015年の制作だから、まだトランプ大統領が共和党の正式候補にもなっていない時期の映画だ。しかし、米墨国境地帯をめぐる状況が大きく変化することを予見したような映画が撮られたということでは暗示的だし、日本での公開が実現したのもトランプ効果であることは間違いない。
映画の地球 ラテンアメリカの映画 6 モノクロームの美しいコロンビア映画『彷徨える河』 シーロ・ゲーロ監督
コロンビア映画『彷徨える河』 シーロ・ゲーロ監督
墨に五彩在り、という。東洋の審美眼を象徴的に要約したものだ。水墨によって森羅万象を描こうとの野心をもった東洋の画工たちは、墨で山なす緑を描き、新緑、盛夏の緑、湿潤な緑とさまざまな抒情を表出した。『彷徨える河』を観ながら筆者はしきりに水墨の世界の神韻を聴いていたのだった。そう本作はモノクローム映画。しかし、熱帯雨林の豪奢な色彩を確かに感じていた。美しい濃淡の輝きにあふれていた。
アマゾン流域を舞台とする映画はこれまで数多く制作されてきた。アマゾンが放つ色彩の横溢に善く応えるように色彩フィルムに定着されていた。野生の宝庫、緑の地獄といわれる悲劇の場所であったり、征服の拠点であり破壊の現場として。誠実に色彩設計されて撮影されたフィルムもあったが、どこを切り取っても密林の濃密さは写せると安易に撮られたものも多かった。もちろん、カラーフィルムが容易に流通しはじめる前に、モノクロームでアマゾンは撮られているわけだが、当時の撮影者たちはいつもフィルムの限界を嘆いただろう。しかし、節度のない色彩乱舞の時代に本作は意識的にモノクロームで、と選択された。その時、アマゾンの光と影は監督の審美眼を象徴するものになった。
前置きが長くなった。物語に寄り添おう……河口から遥かに遡った迷路のようなアマゾン支流。20世紀初頭と、それから数十年を経た時代が交錯して描かれるが、文明の機器が入り込んでいない辺境にあっては、しかと時代が判別できる表象物がでてこない。強いていえば人を殺傷する銃器が“文明”の闖入を象徴するものかも知れない。
欧米社会に知られていない有用の植物などを採集し、あわせて原住民の風俗習慣などを調査するドイツ人民族誌学者と、武器でもって迫害され部族を絶滅に追いやられ、たった独りとなった青年カラマカテとの精神的な交流が描かれる。
カラマカテは民族の知恵として、薬草の知識を豊富にもっていた。生きんがため先人たちが育んできた叡智の結晶。このカラマカテ青年を演じたニルビオ・トーレスが実に良い。奥アマゾンで農業に従事していたトーレスは外界をほとんど知ることなく、母語のクベオ語のみで生活してきたという。映画でもスペイン語より母語で語るシーンが多い。彼には追われた原住民、博物誌的に観察されることを甘受しないカラマカテどうようの誇りがある。演技ではなく、厳しいアマゾンの自然に生きる膂力をもった誇りある民として。半裸の彼にいっさいの贅肉がない。背筋を伸ばし、無駄ごとをいっさい吐かない戦士の矜持をもつ。
ドイツ人学者は風土病で重篤の身、それでも先住民出身の彼の助手とともに長年、アマゾン流域で収集した植物標本や資料をカヌーに乗せて支流を経巡っていた。そこで出会ったのがカラマカテ。通訳を通して治療を乞う。最初は治癒を拒否するカラマカテだが、学者の姿にこれまで見てきた白人侵略者とはまったく違う真摯さを感じ、病いを癒す薬草ヤクルナを求め、カヌーに同船し密林の奥深くに分け入ってゆく。このあたりコンラッドの『闇の奥』を思わせるし、必然、F・コッポラの『地獄の黙示録』を想起させる。
そうしたカラマカテの善意は、やがて民族学者の研究をビジネスとしてみる19世紀以降の経済的な征服者たちによって、アマゾン破壊の根拠を与えることになる。監督は、それを社会批評するのでは、そうした文明の闖入がもたらす荒廃をカヌーの旅のなかに溶かし込んでゆく。
魂の彷徨……カトリックの密林における歪み、精神の惑乱、倫理の剥奪、密林が強いる不条理な生と死の掟……老いたカラマカテの追想。錯綜した二つの時代は溶け合い、分離できなくなる。
思索の混迷を防ぐため豊穣な色彩を廃止し、モノクロームで「人間」だけを屹立させようとしたのかと思われてもくる。 2016年9月記
*10月、東京・シアターイメージフォーラムなどで公開。
映画の地球 プーチン独裁下のロシア映画 4 映画「大統領のカウントダウン」 エヴァゲニー・ラヴレンティエフ監督
映画「大統領のカウントダウン」 エヴァゲニー・ラヴレンティエフ監督(2004・ロシア映画)
ソ連時代であったならば絶対に映画化されないポリテカル・アクション。共産党独裁のクレムリン首脳部は、首都モスクワで起きた反政府テロを大いなる恥辱として事実を隠蔽するためになりふり構わずに言論統制したに違いない。映画化などもってのほか、という態度を貫徹しただろう。しかし、プーチン独裁下では、インターネット時代下の情報の出し入れ、サジ加減をしっている。硬軟微妙に使い分ける。それが顕著に分かるのが、こうして輸出されるロシア映画である。
2002年10月、チェチェン共和国の独立派武装勢力がモスクワ市内中央部にあるドブロフカ・ミュージアム劇場で観客922名を人質に取って、チェチェン領内からロシア連邦軍の撤退を要求した。
要求が受け入れられない場合は人質を殺害、自分たちも劇場内に施設した爆弾を使って劇場ごと自爆すると警告した。これに対し、プー チン大 統領政府は要求を拒み、妥協せず強硬な態度を示し武装勢力は追い詰めた。
劇場占拠から3日目、ロシア政府は特殊部隊を突入させ鎮圧した。
その際、特殊部隊は犯人を無力化するため非致死性ガスを使用、劇場内にいたチェチェイン武装グループ、人質たちもガスによって大半が数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生したが、短時間で制圧された。
チェチェイン武装勢力は全員射殺されたが、その中には意識朦朧となり戦闘能力を喪失したまま、特殊部隊員によって射殺されたものも多い。人質もガスを浴び、政府当局が事前に用意された病院に収容されて治療された。後日、ガスの後遺症によって死去した人質も複数出て、ロシア当局は批判にさらされたが、概ねプーチンの果敢な対処は肯定的に支持された。
映画は、事件をモデルに2年後に制作されたものだ。
特殊ガスの使用などは割愛されるなどリアリズムを求めず状況をかなり変えているが、誰がみても「事件」をいやおうなく思い出させるものだ。しかも、武装勢力を一方的に非道なテロ集団とは描いてはいない、という意味でも注目に価するものだし、プーチン政権の言論表現の許容度を推量する目安ともなるものだ。
ハリウッドに対抗する意味もあったのか、エンターテイメント性をそなえた大型アクション映画の仕立てを意図したようで、モスクワ中心部で大規模な交通規制をして撮影されている意味でも本作のシナリオは事前に政府もチェックしているわけだ。その意味ではプーチン政権は「事件」の処理を見事な“成果”と自己評価していることがわかる。
映画では、国外に出ている資産家のチェチェイン人を黒幕としており、その資産家が事件の「説得」という芝居をうち、その成果をもってチェチェインでの権力を把握しようという意図をもっていた、と描き実際の事件を矮小化している。ゆえにプーチン政権下での映画化が実現したのだろう。つまり、チェチェインに住むひとたちの独立志向は元来、ちいさなもので西側へ出た権力亡者の富裕層が画策している問題に過ぎない、と語っているようなものだ。
映画化にあ たって参考資料として活用されたと容易に想像できるドキュメントが日本でも翻訳されている。『モスクワ劇場占拠事件』。幸か不幸か事件当日、人質となってしまった女性ジャーナリストが綴ったもので、時系列に事件の推移を複数の証言を交錯させながら切迫した状況を増幅させている。著者はタチアーナ・ポポーヴァ。その本のなかに一回だけアンナ・ポリトコフスカヤの名が出てくる。ソ連邦解体後にロシア、いや旧ソ連邦といっても良いかも知れないが、もっとも勇気のあるジャーナリスト、生命を賭して真実を書き続けたロシアの“良心”そのものであった。その本で一行、こう書かれる。
「テロリスト達は、ノヴァヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者とのみ交渉すると言っている」
「良心そのものであった」と過去形で書くのは、すでにこの世に存在しないからだ。アンナは2006年10月、モスクワの自宅で射殺された。その後、犯人が逮捕されていないこと、事件の真相が追求されることなくあいまいに処理されていることなどで、政府当局の関与が疑われている。
世界はアンナ・ポリトコフスカヤのペンで、チェチェイン紛争の実態を知った。日本でも彼女のチェチェイン・ルポは翻訳されている。ポリトコフスカヤはロシア女性だが、ロシアにもチェチェインにも肩入れすることなく事実だけを記す態度に、テロリストたちは彼女を信頼し政府との交渉役に要請したのだ。しかし、その交渉役を引き受けたことで彼女は、プーチン政権にとって“脅威”となった。
ポリトコフスカヤはその後、いくら書いてもロシアでは発表できないという状況がつづき、著作も1冊をのぞいてロシアでは刊行できなくなる。つまりソ連邦時代のパステルナーク、ソルジェニーツィンと同じ迫害を受けることになる。
タチアーナ・ポポーヴァも勇気あるルポを書いた。劇場での人質解放作戦で、人質も67人が死んでいること、かつ事件後、治療の甲斐もなく後日、死去した人質も多数出たことも書いている。そうした事実を知れば映画はやはり事件の真相をオブラートに包んだプーチンの教宣映画としかみえない。
映画の地球 公開中 映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』 ジョン・リー・ハンコック監督
映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』 ジョン・リー・ハンコック監督
映画の地球 アフリカを描く 2 ガボン*映画『ル・アーヴルの靴みがき』
ガボン=フランス 映画『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ監督
舞台はフランス第2の港湾都市ル・アーヴル。御大のニコラ・サルコジ大統領(ハンガリー移民2世)を旗頭にフランスは世界有数の移民社会だ。移民たちの政治的貢献はもとより、文化的貢献でも密なることでは米国並みではないのか? しかし、移民社会はどうじに不法越境者問題を抱える。これも米国と状況は酷似する。
いま、フランスで大きな港を背景にして〈現在〉を批評する映画を撮ろうと思えば、不法越境者の影はどこかに移り込んでしまう。彼らを無視して映画を撮ることはできる、しかし、誠実な態度とはいえないだろう。ギリシャの財政破綻を引き金とするユーロの経済危機のなかでドイツとともに比較的安定している同国に職を求めて不法越境者が流入するのは、水が高きから低きに流れるように自然現象だ。
本作に登場する不法越境者は中部アフリカの大西洋沿岸国ガボンからやってきたひとりの少年。改造コンテナのなかに息を潜めてル・アーヴルに“荷揚げ”された、そう荷物のように。コンテナのなかで苦楽をともにした数十人のガボン人は荷揚げされた途端、拘束されてしまう。彼らのその後の悲劇は映画では語られない。一銭も稼ぐことなく強制送還される人には重たい借金が待っているだけだ。帰国したとて返せる見込みなどありはしない過重の大金だ。彼らは生きるためにどのような選択をしていくのだろうか。
少年は逃げ出すことに成功したのだ。といってもパスポートももたない不法越境者が生きてゆくには泥棒でもするしかない。そこに登場するのが誇りだけ高き、ル・アーヴるの老いた靴磨き、と彼の友人たち。ヒューマン・ドラマだが、押しつけがましさがないのがよい。
フランスはかつてアフリカや東南アジア、カリブの西インド諸島などで多くの植民地を経営した国であり、現在なお「海外県」に昇格させて統治している。必然的にフランス語を公用語とする南の国の貧しい民が流れ込んで来るのは止む得ない。ガボンはフランスの植民地であった。現在も公用語はフランス語だ。
フランスの三色旗は「自由・平等・博愛」を象徴する。人権思想の鼎(かなえ)をトリコロールした。けれど、そこから外国人はこぼれる。フランス革命の後、フランスは植民地を武器で維持し、多くの民衆の「自由」を奪い、「平等」にまったく無関心で、「博愛」のかけらもなかった。フランスは核兵器保有国だが、その兵器としての核の実験場はいつも植民地であった。
カウリスマキ監督は、自由と平等は実現されたためしはない。けれど「博愛の精神だけがどこにでも見つけることはできた」と語っている。その「博愛」について、庶民の目線から語った映画でもある。
不法越境者の問題はドラマに創りやすい。経済のグローバル化が叫ばれるようになってから不法越境者を主人公にした映画が急増しているのも、語りやすいからだ。フランスではそうした秀作が年に1本以上、制作されている。
越境者は存在そのものが激越なドラマだ。
母国を離れるという選択、生木を剥ぐような別離、それも自分の意思に反する政治的迫害、貧困などによって流浪の道しか選べなかった人たちの物語だから。そうした悲劇をベースに挿話を積み上げればたちまち何本もシナリオは書ける。安易な社会派映画はいくらでもできる。しかし、政治的にノンポリ、自分のちょっとした行いが「博愛」ともなんとも思っていない日常的な些事の積み重ね。それが結果的に一人の少年を救うことになる・・・という話をカウリスマキ監督はじつに巧みに演出して善意の臭みがない。フィンランド、いや欧州を代表する監督として揺るぎない地位を築いた人の手練だと納得できるのだ。
ガボンからやってきた少年が最終的に目指すのはドーバー海峡の対岸の英国。ロンドンで家政婦として働いているらしい母親を探すためだ。無事、英国に密入国しても少年の多難がいささかも減じるわけではない。
ガボンは現在、フランスに代わって露骨な植民化を行なっているといって良いだろう。国土の八割を占めるという豊かな森林を容赦なく伐採し、その八割を中国が独占し、国立公園のど真ん中に鉄鉱石を採掘するため環境をまったく無視して開発を進める、そして森林から沿海に流れ込む豊かな滋養をえて繁殖する魚類を中国の漁業が漁る。そのすさまじい収奪ぶりはさまざまなレポートにまとめられている。ここでは本題ではないので書かないが、ガボンから来た少年は、そうした中国人たちの進出によって国外に放てきされた人たちのひとりということだ。
パスポートさえあればドーバー海峡を超えるのはなんでもない、通勤・通学の行き来のようなものだが、パスポートをもたない者の前では巨壁となる。ここでも危険をおかして密航するしかない。密航にはカネ金とウンが必要だ。そこで初老の靴磨きを中心に隣人が知恵を出し、少年を貨物船に隠して送り出す。その日常的な工夫の描き方が良い。肩肘はらずに淡々と身の丈に応じてやろうという雰囲気が自然で良いのだ。むろん、それだって映画のお話なのだが、そういう雰囲気を上手につくってしまうのがカウリスマキという演出家なのだ。
心あたたまるフランスの港町の話だが、監督には、こんな不平等な南北格差を生みだした当事国のひとつが16世紀以来、〈南〉の民衆をさんざん搾取してきた「三色旗」なんだぞ、とぶつぶつと言っているようにも思える。