映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 これから公開 自ら解毒する性根のない作品 アルゼンチン映画『笑う故郷』 ガストン・ドゥブラット監督

自ら解毒する性根のない作品 アルゼンチン映画『笑う故郷』 ガストン・ドゥブラット監督

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 原題はスペイン語で「名誉市民」だが、邦題は何故か意味不明の「笑う故郷」に。本作は「名誉市民」の方が象徴的にふさわしいし、反証的なアイロニーを形成すると思う。昔、ラテンアメリカの小国を舞台にしたグレアム・グリーン原作の『名誉領事』という映画があったが、スクリーンの空間のなかで表題に実質を与えて印象を残す効果があった。表題は作品の顔であろうと思うから、もう少し吟味して欲しいと思う。
 さて、その名誉市民(むろん創作だが)はノーベル賞作家ダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)である。アルゼンチンは首都ブエノスアイレスの近郊、といって も同国の距離感における近郊であって、日本でいえば東京と北関東の小さな町ほどの距離感だろう。この距離感は本作にとって重要な設定で、首都の政府・官僚たち、アカデミズムから一定の距離感を保つことでできる設定である。だから、都会の上品なエスプリにどっぷりと浸っていない生地の野卑がある。田舎町のお偉方の反アカデミックな風土を象徴し、そこに自ら闖入してしまった西欧の知性が蒙る不快感がザラザラとした不快なサスペンス風の苦い効果を与えている。
 ノーベル賞受賞後、一連の祝典行事に追い回された後、次第に飽いて辞退、欠席と引きごもりがちとなるマントバーニ。それでも日々、世界各地から参加、出席を乞う招待状を届く。むろん、それに色よい返事は出さない。ある日、儀礼的な招待状の一束に30年以上も前、出奔したまま爪先すら向けていない故郷サラスの市長から「名誉市民」の称号を授与し たいので帰郷を求める招待状が届く。最初は見向きもしない作家だが、ふと思うことありといった風情で、「この機会に一度、帰郷してみるか」と思い立つ。30年ぶりということは、彼は軍事独裁下の母国を後にしたことが知れる。
 帰郷し市長に迎えられ、作家は開口一番、自分のしたくないことをあれこれ述べる。その部屋にはエビータことエバ・ペロンとペロン大統領の大きな肖像画写真が掲示されていて、市長がペロン党員であることが分かる。市長が田舎のポピリストであることは、それでラテンアメリカの市民なら誰でも納得する表象だ。
 「名誉市民」の称号の授与式、返礼としての講演、消防自動車にのってのパレード、市民美術展での名誉審査員・・・とまぁ、型通りのスケジュ ールがこなされてゆく。しかし、作家を取り巻く空気はしだいに変わってゆく。まず、彼の文学がサラスを舞台として、市民を創造的再構築して描いているのだが、地づきの市民がアレは誰だと推測して、それぞれ勝手な解釈を生み出す。作家にとっては迷惑な話だが、市民にとっては文学ではなく、モデル小説として読みまれている。
 やがて、作家の知性は、その良心に忠実であろうとすればするほど市民との齟齬を生んでゆく。そして、最後は石もて追われるように町から放逐され、それどころこか誤殺されてしますのだ。で、これで終わればルイス・ブニュエルの毒を引き継ぐ才能と監督を褒めただろう。ところが、おそらく、まったく無駄な独り悦に浸るように一場を作る。
 作家の新作発表の記者会見の場である。そこで、映画で語れてきたことが「新作」の内容だと話は堕ちる、落ちるではなく堕落の堕ちる、である。この記者会見の一場で、この作品の毒はみごとに解毒されてしまう。お話なんですよ、〈現に私はこの通りピンピンしている〉と腰が引けている。ブニュエルならこんな不手際をしないだろうし、発想すらしなかっただろう。
 それにだ・・・ノーベル賞受賞作家とあろうものが、自身の「受賞」をサンプリングして文学を描こうというさもしさをもつわけがない。これは大衆作家のセンスだ。自らのノーベル賞受賞を物語って文学にできるのは、『ドクトル・ジバゴ』のパステルナークと、『ガン病棟』など一連の長編小説によって受賞したソルジェニーツィンぐらいなものだろう。二人ともソ連政府の圧力で国外に出られず、授賞式への参加はおろか、受賞作すら国内刊行ができなかった。彼らなら受賞の日々を語るだけでも貴重な証言文学を書いただろう。
 本作が原題の「名誉市民」ではなく、軽味の「笑う故郷」とされたのも、実際、この作品の性根のなさに対する批評ではなかったのかと思ったりする(真実は知らないが・・・)。
 
▽9月、岩波ホールで公開。 2016年・アルゼンチン映画。117分。