映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 プーチン独裁下のロシア映画 4  映画「大統領のカウントダウン」  エヴァゲニー・ラヴレンティエフ監督

映画「大統領のカウントダウン」  エヴァゲニー・ラヴレンティエフ監督(2004・ロシア映画)

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 ソ連時代であったならば絶対に映画化されないポリテカル・アクション。共産党独裁のクレムリン首脳部は、首都モスクワで起きた反政府テロを大いなる恥辱として事実を隠蔽するためになりふり構わずに言論統制したに違いない。映画化などもってのほか、という態度を貫徹しただろう。しかし、プーチン独裁下では、インターネット時代下の情報の出し入れ、サジ加減をしっている。硬軟微妙に使い分ける。それが顕著に分かるのが、こうして輸出されるロシア映画である。
 2002年10月、チェチェン共和国の独立派武装勢力がモスクワ市内中央部にあるドブロフカ・ミュージアム劇場で観客922名を人質に取って、チェチェン領内からロシア連邦軍の撤退を要求した。
 要求が受け入れられない場合は人質を殺害、自分たちも劇場内に施設した爆弾を使って劇場ごと自爆すると警告した。これに対し、プー チン大 統領政府は要求を拒み、妥協せず強硬な態度を示し武装勢力は追い詰めた。

 劇場占拠から3日目、ロシア政府は特殊部隊を突入させ鎮圧した。
 その際、特殊部隊は犯人を無力化するため非致死性ガスを使用、劇場内にいたチェチェイン武装グループ、人質たちもガスによって大半が数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生したが、短時間で制圧された。
 チェチェイン武装勢力は全員射殺されたが、その中には意識朦朧となり戦闘能力を喪失したまま、特殊部隊員によって射殺されたものも多い。人質もガスを浴び、政府当局が事前に用意された病院に収容されて治療された。後日、ガスの後遺症によって死去した人質も複数出て、ロシア当局は批判にさらされたが、概ねプーチンの果敢な対処は肯定的に支持された。

 映画は、事件をモデルに2年後に制作されたものだ。
 特殊ガスの使用などは割愛されるなどリアリズムを求めず状況をかなり変えているが、誰がみても「事件」をいやおうなく思い出させるものだ。しかも、武装勢力を一方的に非道なテロ集団とは描いてはいない、という意味でも注目に価するものだし、プーチン政権の言論表現の許容度を推量する目安ともなるものだ。
 ハリウッドに対抗する意味もあったのか、エンターテイメント性をそなえた大型アクション映画の仕立てを意図したようで、モスクワ中心部で大規模な交通規制をして撮影されている意味でも本作のシナリオは事前に政府もチェックしているわけだ。その意味ではプーチン政権は「事件」の処理を見事な“成果”と自己評価していることがわかる。
 映画では、国外に出ている資産家のチェチェイン人を黒幕としており、その資産家が事件の「説得」という芝居をうち、その成果をもってチェチェインでの権力を把握しようという意図をもっていた、と描き実際の事件を矮小化している。ゆえにプーチン政権下での映画化が実現したのだろう。つまり、チェチェインに住むひとたちの独立志向は元来、ちいさなもので西側へ出た権力亡者の富裕層が画策している問題に過ぎない、と語っているようなものだ。

 映画化にあ たって参考資料として活用されたと容易に想像できるドキュメントが日本でも翻訳されている。『モスクワ劇場占拠事件』。幸か不幸か事件当日、人質となってしまった女性ジャーナリストが綴ったもので、時系列に事件の推移を複数の証言を交錯させながら切迫した状況を増幅させている。著者はタチアーナ・ポポーヴァ。その本のなかに一回だけアンナ・ポリトコフスカヤの名が出てくる。ソ連邦解体後にロシア、いや旧ソ連邦といっても良いかも知れないが、もっとも勇気のあるジャーナリスト、生命を賭して真実を書き続けたロシアの“良心”そのものであった。その本で一行、こう書かれる。
 「テロリスト達は、ノヴァヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者とのみ交渉すると言っている」
 「良心そのものであった」と過去形で書くのは、すでにこの世に存在しないからだ。アンナは2006年10月、モスクワの自宅で射殺された。その後、犯人が逮捕されていないこと、事件の真相が追求されることなくあいまいに処理されていることなどで、政府当局の関与が疑われている。
 世界はアンナ・ポリトコフスカヤのペンで、チェチェイン紛争の実態を知った。日本でも彼女のチェチェイン・ルポは翻訳されている。ポリトコフスカヤはロシア女性だが、ロシアにもチェチェインにも肩入れすることなく事実だけを記す態度に、テロリストたちは彼女を信頼し政府との交渉役に要請したのだ。しかし、その交渉役を引き受けたことで彼女は、プーチン政権にとって“脅威”となった。
 ポリトコフスカヤはその後、いくら書いてもロシアでは発表できないという状況がつづき、著作も1冊をのぞいてロシアでは刊行できなくなる。つまりソ連邦時代のパステルナーク、ソルジェニーツィンと同じ迫害を受けることになる。

 タチアーナ・ポポーヴァも勇気あるルポを書いた。劇場での人質解放作戦で、人質も67人が死んでいること、かつ事件後、治療の甲斐もなく後日、死去した人質も多数出たことも書いている。そうした事実を知れば映画はやはり事件の真相をオブラートに包んだプーチンの教宣映画としかみえない。