映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 ラテンアメリカの映画 7   米墨国境地帯は映画の宝庫 『ノー・エスケープ ~自由への国境』 ホナス・キュアロン監督

映画『ノー・エスケープ ~自由への国境』 ホナス・キュアロン監督

f:id:cafelatina:20170819090503j:plain 2015年の制作だから、まだトランプ大統領が共和党の正式候補にもなっていない時期の映画だ。しかし、米墨国境地帯をめぐる状況が大きく変化することを予見したような映画が撮られたということでは暗示的だし、日本での公開が実現したのもトランプ効果であることは間違いない。

 

 本作には小品にも関わらず2013年、オスカーを複数獲得した『ゼロ・グラビティ』のスタッフが全面的に投入されていることでも、メキシコ側からみた国境問題に対する認識度の高さをうかがわせる。ハリウッドで成果を上げたメキシコ人スタッフが故郷を振り返り、やはり撮るべき映画を制作しなければいけない、と使命感のようなものを感じた、と思わせる作品となっている。
 監督は『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲得したアルフォンソ・キュアロンの息子、ホナ ス自身、『ゼロ~』の脚本を父キュアロンともに共同執筆している。プロデューサーはアルフォンソの弟、いわばキュアロン一家の才能が結集した作品。かつ、主演のガエル・ガルシア・ベルナル、彼のことは今更、紹介するまでもないが、アルフォンソの代表作の一つ『天国の口、終わりの楽園』にリアリティを与えた若き才能だ。映画的スケールでいえば出演者も少なく、ほぼオールロケ、取り立ててセットも建造物もいらない不毛の砂漠での撮影である。
 原題は、DESIERTO。砂漠、である。日を遮る樹木もない乾ききった不毛の大地だ。メキシコ側から米国へより多くの収入を得よ うと不法越境するメキシコ人がポリ容器のなかに水を満杯にし、わずかな食糧だけを背に、命を賭して入っていく白濁して乾ききった広漠とした大地。なぜ、そんな危険な場所を越境の地として選ぶかといえば、監視の目も少なく、そして国境を隔ている高い壁もないからだ。米国側からすれば、そんな危険な場所を選ぶ越境者は少ないと放置しているともいえるが、トランプ大統領は、そんな砂漠にも壁を建てると宣言したのだ。
 映画は、コヨーテと呼ばれる越境を導くガイドに連れられて旅するメキシコ人男女十数名。国境の鉄条網をこじ開けて簡単に越境はできた。しかし、そうした監視に手薄な場所は、不法越境者たちが自分たちの仕事を奪い、米国文化を毀損すると考える白人たちが自警団を組織したり、あるいは 一匹オオカミのように越境者狩りを身勝手な“使命感”で行なう男たち、あるいはかつて兵士だった男たちがスリルを求めてスナイパーとなるリアリティの場でもある。そんな連中が徘徊するところなのだ。
 映画は、その呑んだくれの白人男サム(ジェフリー・ディーン・モーガン)が無抵抗の越境者をスナイパーのように打ち殺してゆく。そのサムの銃口をかわしながら、命がけの機知を働かせて、最後まで逃げおおせたのがモイセス(ガエル・ガルシア)と、若い女アデラ(アロンドラ・イダルゴ)。映画はその三人が砂まみれとなって織りなす愛憎劇だ。アデラを演じたイダルゴもまたメキシコでは良く知られら女優。
 サムに追走されるモイセスとアデラは、砂漠に生きるガラガラ蛇、棘が密集するサボンテンなどを生かして危機を乗り越える。そのあたりのアイデアはなかなか巧みに描かれている。映画は、幸運にも助かったのはモイセスだけと暗示される。サムは自業の果て、砂漠のなかで枯死するだろうと予感させ てスクリーンから消える。
 筋立ては米国南部でかつて盛んに制作された逃亡者と追跡者の話だが、そこに米墨国境を敷くことによって、象徴化される先進国と途上国の差異、そのズレが生む悲劇は、日本には入ってこないが、メキシコにはノルティーニョ物と呼ばれる表現分野のなかで長年、繰り返されている主題である。まず音楽の世界では、国境めぐる悲劇、国境を舞台にした麻薬密売組織の暗闘などを歌うカテゴリーがあって、形式的にコリードと呼ばれる俗謡だが、これを現代風のグルペーラの演奏様式によって歌われるポップスは定番なのだ。ときどき、米国映画のなかでもメキシコ北部のランドマークとして登場する。そして、国境地帯を舞台に低予算のアクション映画が制作されている。本作もそれに準じた形式だが、そこはキュアロン一家の仕 事で、ガエル・ガルシアが主演することによって、その映画の主旨とするところは米国国民に、いまある現実、人間の悲劇としての国境に視線を向かせる効果があっただろう。
 オバマ前政権が必死に銃規制を法文化しようとして果たせなかったことの悲劇が、こうして警察の力が及ばないとことで、超法規的、かつ非人道的に繰り返されている、その現実を知らしめる映画ともなっている。しかし、現実は本作が制作された後に、米国有権者はトランプ氏を大統領に選んだ。それもシニカルな現実だ。 
▽2017年3月記。

映画の地球 ラテンアメリカの映画 6  モノクロームの美しいコロンビア映画『彷徨える河』 シーロ・ゲーロ監督

コロンビア映画『彷徨える河』 シーロ・ゲーロ監督
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 墨に五彩在り、という。東洋の審美眼を象徴的に要約したものだ。水墨によって森羅万象を描こうとの野心をもった東洋の画工たちは、墨で山なす緑を描き、新緑、盛夏の緑、湿潤な緑とさまざまな抒情を表出した。『彷徨える河』を観ながら筆者はしきりに水墨の世界の神韻を聴いていたのだった。そう本作はモノクローム映画。しかし、熱帯雨林の豪奢な色彩を確かに感じていた。美しい濃淡の輝きにあふれていた。
 アマゾン流域を舞台とする映画はこれまで数多く制作されてきた。アマゾンが放つ色彩の横溢に善く応えるように色彩フィルムに定着されていた。野生の宝庫、緑の地獄といわれる悲劇の場所であったり、征服の拠点であり破壊の現場として。誠実に色彩設計されて撮影されたフィルムもあったが、どこを切り取っても密林の濃密さは写せると安易に撮られたものも多かった。もちろん、カラーフィルムが容易に流通しはじめる前に、モノクロームでアマゾンは撮られているわけだが、当時の撮影者たちはいつもフィルムの限界を嘆いただろう。しかし、節度のない色彩乱舞の時代に本作は意識的にモノクロームで、と選択された。その時、アマゾンの光と影は監督の審美眼を象徴するものになった。

 前置きが長くなった。物語に寄り添おう……河口から遥かに遡った迷路のようなアマゾン支流。20世紀初頭と、それから数十年を経た時代が交錯して描かれるが、文明の機器が入り込んでいない辺境にあっては、しかと時代が判別できる表象物がでてこない。強いていえば人を殺傷する銃器が“文明”の闖入を象徴するものかも知れない。
 欧米社会に知られていない有用の植物などを採集し、あわせて原住民の風俗習慣などを調査するドイツ人民族誌学者と、武器でもって迫害され部族を絶滅に追いやられ、たった独りとなった青年カラマカテとの精神的な交流が描かれる。
 カラマカテは民族の知恵として、薬草の知識を豊富にもっていた。生きんがため先人たちが育んできた叡智の結晶。このカラマカテ青年を演じたニルビオ・トーレスが実に良い。奥アマゾンで農業に従事していたトーレスは外界をほとんど知ることなく、母語のクベオ語のみで生活してきたという。映画でもスペイン語より母語で語るシーンが多い。彼には追われた原住民、博物誌的に観察されることを甘受しないカラマカテどうようの誇りがある。演技ではなく、厳しいアマゾンの自然に生きる膂力をもった誇りある民として。半裸の彼にいっさいの贅肉がない。背筋を伸ばし、無駄ごとをいっさい吐かない戦士の矜持をもつ。

 ドイツ人学者は風土病で重篤の身、それでも先住民出身の彼の助手とともに長年、アマゾン流域で収集した植物標本や資料をカヌーに乗せて支流を経巡っていた。そこで出会ったのがカラマカテ。通訳を通して治療を乞う。最初は治癒を拒否するカラマカテだが、学者の姿にこれまで見てきた白人侵略者とはまったく違う真摯さを感じ、病いを癒す薬草ヤクルナを求め、カヌーに同船し密林の奥深くに分け入ってゆく。このあたりコンラッドの『闇の奥』を思わせるし、必然、F・コッポラの『地獄の黙示録』を想起させる。
 そうしたカラマカテの善意は、やがて民族学者の研究をビジネスとしてみる19世紀以降の経済的な征服者たちによって、アマゾン破壊の根拠を与えることになる。監督は、それを社会批評するのでは、そうした文明の闖入がもたらす荒廃をカヌーの旅のなかに溶かし込んでゆく。
 魂の彷徨……カトリックの密林における歪み、精神の惑乱、倫理の剥奪、密林が強いる不条理な生と死の掟……老いたカラマカテの追想。錯綜した二つの時代は溶け合い、分離できなくなる。
 思索の混迷を防ぐため豊穣な色彩を廃止し、モノクロームで「人間」だけを屹立させようとしたのかと思われてもくる。  2016年9月記
*10月、東京・シアターイメージフォーラムなどで公開。

映画の地球 プーチン独裁下のロシア映画 4  映画「大統領のカウントダウン」  エヴァゲニー・ラヴレンティエフ監督

映画「大統領のカウントダウン」  エヴァゲニー・ラヴレンティエフ監督(2004・ロシア映画)

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 ソ連時代であったならば絶対に映画化されないポリテカル・アクション。共産党独裁のクレムリン首脳部は、首都モスクワで起きた反政府テロを大いなる恥辱として事実を隠蔽するためになりふり構わずに言論統制したに違いない。映画化などもってのほか、という態度を貫徹しただろう。しかし、プーチン独裁下では、インターネット時代下の情報の出し入れ、サジ加減をしっている。硬軟微妙に使い分ける。それが顕著に分かるのが、こうして輸出されるロシア映画である。
 2002年10月、チェチェン共和国の独立派武装勢力がモスクワ市内中央部にあるドブロフカ・ミュージアム劇場で観客922名を人質に取って、チェチェン領内からロシア連邦軍の撤退を要求した。
 要求が受け入れられない場合は人質を殺害、自分たちも劇場内に施設した爆弾を使って劇場ごと自爆すると警告した。これに対し、プー チン大 統領政府は要求を拒み、妥協せず強硬な態度を示し武装勢力は追い詰めた。

 劇場占拠から3日目、ロシア政府は特殊部隊を突入させ鎮圧した。
 その際、特殊部隊は犯人を無力化するため非致死性ガスを使用、劇場内にいたチェチェイン武装グループ、人質たちもガスによって大半が数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生したが、短時間で制圧された。
 チェチェイン武装勢力は全員射殺されたが、その中には意識朦朧となり戦闘能力を喪失したまま、特殊部隊員によって射殺されたものも多い。人質もガスを浴び、政府当局が事前に用意された病院に収容されて治療された。後日、ガスの後遺症によって死去した人質も複数出て、ロシア当局は批判にさらされたが、概ねプーチンの果敢な対処は肯定的に支持された。

 映画は、事件をモデルに2年後に制作されたものだ。
 特殊ガスの使用などは割愛されるなどリアリズムを求めず状況をかなり変えているが、誰がみても「事件」をいやおうなく思い出させるものだ。しかも、武装勢力を一方的に非道なテロ集団とは描いてはいない、という意味でも注目に価するものだし、プーチン政権の言論表現の許容度を推量する目安ともなるものだ。
 ハリウッドに対抗する意味もあったのか、エンターテイメント性をそなえた大型アクション映画の仕立てを意図したようで、モスクワ中心部で大規模な交通規制をして撮影されている意味でも本作のシナリオは事前に政府もチェックしているわけだ。その意味ではプーチン政権は「事件」の処理を見事な“成果”と自己評価していることがわかる。
 映画では、国外に出ている資産家のチェチェイン人を黒幕としており、その資産家が事件の「説得」という芝居をうち、その成果をもってチェチェインでの権力を把握しようという意図をもっていた、と描き実際の事件を矮小化している。ゆえにプーチン政権下での映画化が実現したのだろう。つまり、チェチェインに住むひとたちの独立志向は元来、ちいさなもので西側へ出た権力亡者の富裕層が画策している問題に過ぎない、と語っているようなものだ。

 映画化にあ たって参考資料として活用されたと容易に想像できるドキュメントが日本でも翻訳されている。『モスクワ劇場占拠事件』。幸か不幸か事件当日、人質となってしまった女性ジャーナリストが綴ったもので、時系列に事件の推移を複数の証言を交錯させながら切迫した状況を増幅させている。著者はタチアーナ・ポポーヴァ。その本のなかに一回だけアンナ・ポリトコフスカヤの名が出てくる。ソ連邦解体後にロシア、いや旧ソ連邦といっても良いかも知れないが、もっとも勇気のあるジャーナリスト、生命を賭して真実を書き続けたロシアの“良心”そのものであった。その本で一行、こう書かれる。
 「テロリスト達は、ノヴァヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者とのみ交渉すると言っている」
 「良心そのものであった」と過去形で書くのは、すでにこの世に存在しないからだ。アンナは2006年10月、モスクワの自宅で射殺された。その後、犯人が逮捕されていないこと、事件の真相が追求されることなくあいまいに処理されていることなどで、政府当局の関与が疑われている。
 世界はアンナ・ポリトコフスカヤのペンで、チェチェイン紛争の実態を知った。日本でも彼女のチェチェイン・ルポは翻訳されている。ポリトコフスカヤはロシア女性だが、ロシアにもチェチェインにも肩入れすることなく事実だけを記す態度に、テロリストたちは彼女を信頼し政府との交渉役に要請したのだ。しかし、その交渉役を引き受けたことで彼女は、プーチン政権にとって“脅威”となった。
 ポリトコフスカヤはその後、いくら書いてもロシアでは発表できないという状況がつづき、著作も1冊をのぞいてロシアでは刊行できなくなる。つまりソ連邦時代のパステルナーク、ソルジェニーツィンと同じ迫害を受けることになる。

 タチアーナ・ポポーヴァも勇気あるルポを書いた。劇場での人質解放作戦で、人質も67人が死んでいること、かつ事件後、治療の甲斐もなく後日、死去した人質も多数出たことも書いている。そうした事実を知れば映画はやはり事件の真相をオブラートに包んだプーチンの教宣映画としかみえない。
 
 

映画の地球 公開中  映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』 ジョン・リー・ハンコック監督

映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』 ジョン・リー・ハンコック監督

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 タイトルはなんとなく、米国のグローバル企業を指弾しつづけるマイケル・ムーアの映画のようだが、本作はドラマである。
 マクドナルドを知らない日本人は絶対少数派だろうが、マックの存在しない国は意外と多い。あったとしても首都に一店舗か二店舗という国もまた多く。そういう国ではマックは高級ファーストフードとなる。基本的にマックのメニューは各国単位で違い、そしてそれぞれの国では共通メニューとなる。外に長く暮らして、その地のマックでいつも懐かしく思い出されたのがテキヤキ・バーガーだった。といって鮨のように食べたいわけではないのだが・・・。
 私が長く暮らしたメキシコ・マックのハンバーガーは日本でいえばビックマック並みで、米国ではメキシコより心持ち大きいと感じる。値段は当該国の物価に対して決められるから、それぞれ変わる。だから、海外にいってマックに入りメニューをみたり、味を確かめることは、その国を理解するひとつの方法だと思っている。
 最近の例ではハンガリーの首都ブタペストのマックに入った記憶が鮮明だ。まったく味付けの違うハンバーガーを食べた。値段は日本とさほど変わらなかったが、同市の観光ランドマークに近接した場にありながら客はハンガリー人だ けだったように思う。二階建ての店内はほぼ満席だったが、全然、おいしくなかった。コーヒーもまた日本にて味気ない。そんなふうに世界各地のマックについて書ける。もうひとつの例として書けば内戦中の中米エルサルバドルの首都サンサルバドル中心街のマックの思い出が鮮やかに思い出される。市街戦が起こる状況のなかで営業をつづけるその店は、対ゲリラ戦用にイスラエルが開発した銃身の短いウジー自動小銃の引き金に指をかけた完全武装の政府軍兵士が正面玄関の左右を守っていた。政府軍を武力援助しつづける米国の象徴的な企業としては警戒せざるえなかった。そんなふうに中米地峡諸国5ヵ国のマックを取り上げて面白い熱帯社会考現学でも書けそうな気がする。地峡諸国は7か国だが、私が滞在していた1990年代から2000年代初頭にはベリーゼ、ニカラ グアにマックは存在しなかった。断っておくが、私はファーストフードとしての 日本のマックの味は好きでないし、コーヒーもまずいと思っている。
 さて本作は、そのマックを世界企業に発展させた企業家レイ・クロック(マイケル・キートン)の実話をもとにしたドラマである。いかにして世界的企業に発展、飛躍したか、その経緯、経営努力とアイデアの妙を見せてくれるドキュメンタリーの要素もあっても面白い。
 1954年、シェイクミキサーのセールスマンのレイのもとに一社から8台もの注文が舞い込む。1台売るのに四苦八苦していたレイにとっては晴天の霹靂、僥倖ともいうべき事態だ。この注文がレイに舞い込んだことがマックの世界企業となるきっかけとなる。
 注文主はカリフォルニア州の小さな町でハンバーガ点を営むマックとディックのマクドナルド兄弟が経営する店だった。レイは商品を持参するついでに、なんで8台も必要なのかと好奇心を抱き店を訪問する。そこで目にしたのは合理的なサービスとスピーディさ、コスト削減、そのため調理場の配置設計はきっちり計算され余分な動きが徹底的に省かれているように思った。
 レイはこの店のコンセプトはどこでも受けれはずと商機を見つけ、「マクドナルド」のフランチャイズ化に乗り出し、見事に成功する。しかし、マクドナルド兄弟の経営理念は創業の地で求められるまま仕事ができればいいという姿勢。レイとの貪欲な利益追求とは相いれない。やがて、決裂、レイは兄弟から「マクドナルド」の社名、ロゴすべて買い取ってしまう。兄弟は自分のセカンド・ネームをつけた創業店から「マクドナルド」の看板を下ろすはめに。レイはうそぶく、「誰がレイ・クロックなんていう名に親しみがもてるか」と。レイは自分の名誉欲を自分の名に与えない。ひたすら企業家として実を獲ったのだ。
 企業の物語が映画として面白いのは創業者にまつわる話だけだ。それは小説や評伝物でも同じだろう。NHKの朝ドラをみればそれは納得できるだろう。「マクドナルド」の名を占有した後の話はむろん割愛される。
 マイケル・キートンが成り上がりの貪欲さと嫌味な冷徹さをみせながら演じて見事だ。
 
 余談だが、マックが並みの企業とはさすがに違うな、と思ったのは、本作をけっして広告塔としなかったことだ。マック・カラーには、マイケル・キートンバットマンは似合ってもケン・クロックの立身出世の物語など合わない。並みの企業であれば、ここぞと映画に相乗りするのだろう。

映画の地球 アフリカを描く 2 ガボン*映画『ル・アーヴルの靴みがき』

ガボン=フランス 映画『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ監督
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 舞台はフランス第2の港湾都市ル・アーヴル。御大のニコラ・サルコジ大統領(ハンガリー移民2世)を旗頭にフランスは世界有数の移民社会だ。移民たちの政治的貢献はもとより、文化的貢献でも密なることでは米国並みではないのか? しかし、移民社会はどうじに不法越境者問題を抱える。これも米国と状況は酷似する。
 いま、フランスで大きな港を背景にして〈現在〉を批評する映画を撮ろうと思えば、不法越境者の影はどこかに移り込んでしまう。彼らを無視して映画を撮ることはできる、しかし、誠実な態度とはいえないだろう。ギリシャ財政破綻を引き金とするユーロの経済危機のなかでドイツとともに比較的安定している同国に職を求めて不法越境者が流入するのは、水が高きから低きに流れるように自然現象だ。
 本作に登場する不法越境者は中部アフリカの大西洋沿岸国ガボンからやってきたひとりの少年。改造コンテナのなかに息を潜めてル・アーヴルに“荷揚げ”された、そう荷物のように。コンテナのなかで苦楽をともにした数十人のガボン人は荷揚げされた途端、拘束されてしまう。彼らのその後の悲劇は映画では語られない。一銭も稼ぐことなく強制送還される人には重たい借金が待っているだけだ。帰国したとて返せる見込みなどありはしない過重の大金だ。彼らは生きるためにどのような選択をしていくのだろうか。
 少年は逃げ出すことに成功したのだ。といってもパスポートももたない不法越境者が生きてゆくには泥棒でもするしかない。そこに登場するのが誇りだけ高き、ル・アーヴるの老いた靴磨き、と彼の友人たち。ヒューマン・ドラマだが、押しつけがましさがないのがよい。
 フランスはかつてアフリカや東南アジア、カリブの西インド諸島などで多くの植民地を経営した国であり、現在なお「海外県」に昇格させて統治している。必然的にフランス語を公用語とする南の国の貧しい民が流れ込んで来るのは止む得ない。ガボンはフランスの植民地であった。現在も公用語はフランス語だ。
 フランスの三色旗は「自由・平等・博愛」を象徴する。人権思想の鼎(かなえ)をトリコロールした。けれど、そこから外国人はこぼれる。フランス革命の後、フランスは植民地を武器で維持し、多くの民衆の「自由」を奪い、「平等」にまったく無関心で、「博愛」のかけらもなかった。フランスは核兵器保有国だが、その兵器としての核の実験場はいつも植民地であった。
 カウリスマキ監督は、自由と平等は実現されたためしはない。けれど「博愛の精神だけがどこにでも見つけることはできた」と語っている。その「博愛」について、庶民の目線から語った映画でもある。
 不法越境者の問題はドラマに創りやすい。経済のグローバル化が叫ばれるようになってから不法越境者を主人公にした映画が急増しているのも、語りやすいからだ。フランスではそうした秀作が年に1本以上、制作されている。
 越境者は存在そのものが激越なドラマだ。

 母国を離れるという選択、生木を剥ぐような別離、それも自分の意思に反する政治的迫害、貧困などによって流浪の道しか選べなかった人たちの物語だから。そうした悲劇をベースに挿話を積み上げればたちまち何本もシナリオは書ける。安易な社会派映画はいくらでもできる。しかし、政治的にノンポリ、自分のちょっとした行いが「博愛」ともなんとも思っていない日常的な些事の積み重ね。それが結果的に一人の少年を救うことになる・・・という話をカウリスマキ監督はじつに巧みに演出して善意の臭みがない。フィンランド、いや欧州を代表する監督として揺るぎない地位を築いた人の手練だと納得できるのだ。
 ガボンからやってきた少年が最終的に目指すのはドーバー海峡の対岸の英国。ロンドンで家政婦として働いているらしい母親を探すためだ。無事、英国に密入国しても少年の多難がいささかも減じるわけではない。

 ガボンは現在、フランスに代わって露骨な植民化を行なっているといって良いだろう。国土の八割を占めるという豊かな森林を容赦なく伐採し、その八割を中国が独占し、国立公園のど真ん中に鉄鉱石を採掘するため環境をまったく無視して開発を進める、そして森林から沿海に流れ込む豊かな滋養をえて繁殖する魚類を中国の漁業が漁る。そのすさまじい収奪ぶりはさまざまなレポートにまとめられている。ここでは本題ではないので書かないが、ガボンから来た少年は、そうした中国人たちの進出によって国外に放てきされた人たちのひとりということだ。
 パスポートさえあればドーバー海峡を超えるのはなんでもない、通勤・通学の行き来のようなものだが、パスポートをもたない者の前では巨壁となる。ここでも危険をおかして密航するしかない。密航にはカネ金とウンが必要だ。そこで初老の靴磨きを中心に隣人が知恵を出し、少年を貨物船に隠して送り出す。その日常的な工夫の描き方が良い。肩肘はらずに淡々と身の丈に応じてやろうという雰囲気が自然で良いのだ。むろん、それだって映画のお話なのだが、そういう雰囲気を上手につくってしまうのがカウリスマキという演出家なのだ。
 心あたたまるフランスの港町の話だが、監督には、こんな不平等な南北格差を生みだした当事国のひとつが16世紀以来、〈南〉の民衆をさんざん搾取してきた「三色旗」なんだぞ、とぶつぶつと言っているようにも思える。  

 

 

映画の地球 アフリカを描く 1 ケニア*映画『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督

映画『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督 

おじいさんと草原の小学校
 アフリカのケニアが英国の植民地支配から苦難の戦いを経て独立したのは1963年のこと。ケニヤッタという精神的指導者の不退転の戦いよって独立は果たされた。
 そのケニアが小学校の無償教育をスタートさせる程度の経済力を身につけたのは2003年。40年も公教育の地盤、初頭教育すら叶わなかったという、この絶望的な時差にアフリカの貧困が象徴されているだろう。そこに、独立後の国づくりがいかに苦難に満ちたものであったかが象徴されている。

 首都ナイロビ郊外には世界最大ともいわれるスラム街が広がっている。欧米の製薬会社が、貧窮するスラム住民の無知につけ込んでひそかに人体実験を繰り返している実態を暴いた映画があった。貧しいケニア人がそうした犯罪の犠牲になるのも基本的な教育の欠如なるがゆえの無知から来る。植民支配の傷はアフリカ諸国では些少の差はあっても、まだ血が吹き出るように開いたままだ。
 無償教育がスタートした、というニュースは僻村の村にも届く。それを聞いたマルゲおじいさん(オリヴァー・リトンド)はためらうことなく小学校の門を叩く。彼が84歳にして学びたいと切実に思うのは、政府から届いた一通の封書だった。彼はそれを読めない。いわゆる文盲である。
彼は、それを自分自身の知識、自ら選び取った識字の力として読みたいと強く思っていた。他人に読んでもらったのでは確証できない。文盲であるがために散々、辛酸を嘗めてきたであろうマルゲは、それが政府の公文書であることを知るから、安易に他人に読ませられないと思う。
 しかし、84歳にしてはじめて小学校の門をくぐったマルゲは、読み書きを学ぶだけでなく、獣医になりたいという“遠大”な夢、抱負をもっていたようだ。マルゲの半分の年齢だって小学生になるという選択はそうとう奇異な光景だ。先進国では考えられないことが貧困なるが故に起こる途上国ではあるけれど、ケニアでも特ダネ扱いのニュースであったらしい。そして、制度的な壁はケニアにも厳然としてあって、マルゲはさまざまな妨害にもあってしまうが、孫のようなジェーン校長(ナオミ・ハリス)のアシスタント資格で“入学”できた。
 映画はその女性校長との心の交流を通して展開される。ひ孫のような同級生たちとの日常光景も雰囲気よく描かれている。そこはなにやら児童映画の気配だが、マルゲの過去が絶えずフラシュバックされ、封書の謎が暗示される仕組みで、常道的なヒューマニズムと一線を画すドラマだと呼び返される。それでも、映画の核にある「学び」とは何か、という視点は明快で、「学び」の原点について考えさせる地肌をもっている。
 マルゲは独立運動の闘士であった。その闘争の日々のなかで、愛妻と子を英国植民地軍に殺されている。そういう虐殺シーンもオブラートに包まれずリアルに取り込まれている。しかし、家族を犠牲にしてまで戦い獲った独立ではあったが、マルゲのその後の生活は不遇だった。文盲ということもあっただろうし、ケニアばかりでないがアフリカの国づくりを困難にした部族対立も翳となっている。マルゲの出身部族は、男は生まれながらにして闘士といわれるキクユ族であり、ジェーン校長の出身部族もまた違うというふうに、民族の微妙な差異も暗示されてゆく。そう、マルゲを通してアフリカの現在進行形の問題が集約されたかたちで浮かびあがる。それはあまりにも痛々しい現実だ。
 「学び」出したマルゲだが、読み書きには幾段階の階梯があることを「学び」を通して認知したようだ。公文書に使われる言葉を正確に読み取るにはまだ時間がかかりそうだし、他人とはいえジェーン校長は全幅の信頼がおける人間だ、とマルゲは思う。ジェーン校長に、「私にはまだむずかしくて読めない」からと差し出す。

 そこに記載されているのは、10代から壮年時代まで、独立に捧げた日々、政治犯として刑務所をたらい回しされ、拷問に耐えた履歴そのものであった。マルゲが小学校に入ろうとヨボヨボと歩く冒頭のシーンは、老いて足が不自由になったから杖に頼っているのではなかった。拷問で足の指が切断されていたのだ。
 しかし、マルゲは前傾姿勢だ。そして“同級生”に学びの大切さをとき、自らの体験を濾過して民族の歴史を語る。マルゲは部族を超えたケニア民族のいきた象徴となりたかったのかも知れない。   

映画の地球 ラテンアメリカの映画 5 ブラジル映画 『ニーゼと光のアトリエ』ホベルト・ベリネール監督 

映画『ニーゼと光のアトリエ』ホベルト・ベリネール監督 ブラジル
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 ノーベル賞の季節ということで、その辺りから入ろう。
 かつて精神疾患、特に統合失調症の患者に対して前頭葉切裁術が行なわれていた。その手術の結果、自我を奪う無気力にしてしまった。そのために人をしてロボットのようにしてしまうということからロボトミーといわれた。この手術を発展させたポルトガルの神経科医師エガス・モリスは、その“功績”で1949年にノーベル生理学・医学賞が与えられた。しかし、今日、ロボトミーの弊害は明らかになり否定され、禁忌の手術となっている。モリスが施術した患者に銃撃されるという事件まで起きた。ノーベル賞も時代の制約のなかでしばしば間違いを犯していることは明記しておく必要があるだろう。
 ロボトミーの弊害を説いた名作に私たちはすでに、ジャック・ニコルソンの名演で知る『カッコーの巣の上で』(ミロス・フォアマン監督)を持っている。本作はそれに併列させて語りついでいきたいような一篇だ。
 ブラジルにとって旧宗主国ポルトガルのアカデミズムが各界に影響を及ぼすのは当然だろう。そんな時代にロボトミーばかりか、電気ショック療法などすべて暴力的治療だと否定する精神科医が臨床に携わる。その女医ニーゼ・ダ・シルヴェイラ(グロリア・ピレス)の奮闘努力の物語である。

 舞台は1944年のリオデジャネイロ市郊外の国立精神病院。映画は、その病院を囲む無機質な鉄製の塀に覆われた正門、その小さな門扉を叩くニーゼの姿からはじまる。ニーゼは繰り返し叩く、沈黙をつづける戸の向こう。ニーゼを迎える困難、行方を象徴するようなシーンである。多少の飛躍、脚色はあるだろうが実話をもとにしたもので大きくは逸脱はしていない。
 病院に迎えられニーゼが建屋、深く入っていくほどに非人道的とも思える荒んだ光景が展開される。拘束される患者、電気ショック療法を受けているのか何処からか聞こえる叫び声、徘徊する患者、その辺りの描写はなにか異臭がただよってきそうな饐(す)えたリアルさがある。映画のなかでニーゼの治療を受ける10人ほどの患者たち、それを個性豊かな、というと語弊があるが、精神病患者たちを演じる俳優たちの「らしき」演技のリアリティさは凄みすら感じさせる。ニーゼを演じたグロリア・ピレスより賞賛したい思いが湧いてくる。その辺りも『カッコーの~』に覚えた感動の質と似ている。
 ニーゼは、看護師らがケダモノ呼ばわりする患者に対して、「クライアントと思いなさい」と自己改革を主張し、実践させてゆく。そして、いっさい暴力的行為のともなわい治療に献身してゆく。 
 箱庭療法というのか、その方面の知識は私にはないが、ニーゼはさまざまないっさい抑圧的な治療を排して模索してゆく。そこで出会ったのが絵画療法であった。患者たちの内面をうかがう手段として。患者ひとりひとりの表現の変化と行動の変化がみごとに重なってゆく微妙な演技、演出はすばらしく繊細であった。
 *2106年12月中旬、公開予定。