映画の地球 これから公開 『永遠のジャンゴ』 エチェンヌ・コマール監督
映画『永遠のジャンゴ』 エチエンヌ・コマール監督
映画の地球 ドキュメント映画『ニュルンベルク裁判 人民の裁き』 ロマン・カルメン監督
映画の地球 バレエと映画 7 これから公開 『ポリーナ、私を踊る』
映画『ポリーナ、私を踊る』
映画の地球 バレエと映画 6 映画「ホライズン」 アイリーン・ホーファー監督
映画「ホライズン」 アイリーン・ホーファー監督
生きて伝説となる、という賛辞があるが、それに価するほどの超人的な「人間」はめったにいやしない。
テレビや映画、スポーツ界での抜きん出た才能というのはあるけれど、安易にレジェンド=伝説と冠されると鼻白む。最近、安手のレジェンドが多すぎる。
アリシア・アロンソ、キューバが生んだ不世出(という献辞もある)のバレリーナ。彼女のような巨(おおき)な才能、その努力と献身も含めて“生きて伝説”の体現者というのだろう。本作は、96歳の現在、すでに視力を失いながらもキューバ国立バレエ団の芸術監督という要職にあるアロンソの来歴を描きつつ、現在の同バレエ団のプリマ、ヴィエングセイ・ヴァ<ルデスの日々の研鑽、そして、同バレエ団所属のバレエ学校の通う14歳の少女アマンダの生活を追う、三人の日々の交錯をバレエを通して描いたのが本作だ。三世代それぞれのバレエへ賭ける思いを通しながらバレエ芸術の永遠性を象徴するのだが、監督の意図はアロンソの影響力の大きさに比重が置かれているように思う。
20世紀後半のバレエの世界に「亡命」というキーワードがある。それはバレエ大国であるという誇りと不遜を両立させていたソ連邦ロシアに生じた。はなやかなバレエの至芸を外交儀礼の一場に活用しながら、それに相応した処遇を舞踊家たちに与えず、才能を浪費させ、うわまえをハネ、そして自由を奪いつづけた。パリに逃れたルドルフ・ヌレエフ、ニューヨークに自由を求めたミハイル・バリシニコフの亡命譚はそのまま映画の素材となる劇的なものだが、彼らほど高名ではないにせよ、ロシア革命前後に亡命した舞踊家、振付師、舞踊指導者たちは実に多い。日本にバレエの種を蒔いたエリアナ・パブロワもまた革命を逃れた才能であった。
何故、こんなことを書かといえば、アロンソの履歴は母国キューバに革命政権が樹立した後に本格的にはじまったと思うからだ。
革命の成功はアロンソ39歳のときである。凡庸な才能なら引退するか一線を退く覚悟を強いられる年齢となる。現にアロンソはハバナにあって自身のバレエ団を設立、後進の指導に力を入れはじめていた。このバレエ団が革命後、国立バレエ団となり今日まで持続する土壌つくりとなった。そのホームベースはハバナ旧市街に建つスペイン・ネオバロック調のガルシア・ロルカ劇場(現在、改名されアリシア・アロンソ劇場)。
10年ほど前、当時、劇場の舞台袖奥、中二階とも中三階とも、なんとも形容しかねる位置に仮説された国立フラメンコ舞踊団事務所で広報担当者にインタビューしたことがある。現在はハバナの重要な観光資源としてリノベーションされたようだが10年前はそんな感じだった。劇場の老朽感は覆うべくもなかった。アロンソはそんな劇場のなかで70歳を超えて踊りつづけていた。
映画のなかでアロンソはフィデル・カストロの同志として繰り返し写される。アロンソは革命政権に全幅の信頼をおいている。それは疑いないものだ。そのあたりはソ連邦ロシアのプリンシパルたちとは決定的に違うところだ。
そして、アロンソの功績を認めつつも率直に思うのだが、彼女の存在は後進たちが目指す高見であると同時に、重圧となっているのでないか。視力を失ったアロンソが『コッペリア』の練習に励むヴァルデスに対して繰り返しダメ押しをつづける光景が描かれる。そこでヴァルデスが反撥し、自分のやり方で表現したいと思っても、アロンソの名に気圧され沈黙を強いられているように思えた。そうした光景は、“老害”とさえ思える。いかに偉大な人間でも引き際があるはずだ。日本には万節を汚さず、という言葉があるが……。
*11月12日より東京都写真美術館ホール他で公開。 2016
映画の地球 バレエと映画 5 『マイコ ふたたびの白鳥』 『ロパートキナ 孤高の白鳥』
二つの注目すべきバレエ映画 来春、相次いで公開
『ロパートキナ 孤高の白鳥』『マイコ ふたたびの白鳥』
2作とも「白鳥」がサブタイトルに飛翔している。しかし、ロパートキナはサン=サーンスの「瀕死の白鳥」、マイコはチャイコフスキー=マリウス・プティパ「白鳥の湖」。ともに女性監督による現役、プリンシパルを主人公としたドキュメントだ。
バレエのドキュメント映画を批評するのはむずかしい。というより矛盾を抱えている。評者はどうしても知名度の高いバレリーナに注目してしまうし、バレエファンならなお更だ。また、興行的にも知名度の高い主人公を据えた映画はよりキャパシティのある劇場で公開されるのは必然で、宣伝に経費をかけるから試写の回数も必然、多くなり批評家の目に触れやすくなる。
しかし、映画批評としてみればプリンシパルとしての技量は等閑視される。否、しなければならない。映画批評においてはプリンシパルのギャランティーは関係ない。たとえ、「瀕死の白鳥」をバレエの至宝と育てたアンナ・パブロワを描こうが、同時代のニジンスキーを描こうが、映画として駄作なら批判は受けるのである。たとえスクリーンで至高の美を捉えたとしても、それは映画の完成度に貢献する1パーツでしかない。
その意味では、70分という短尺の『マイコ』(オセ・スペンハイム・ドリブネス監督)は評価される。マイコとは大阪出身のプリマ・西野麻衣子。現在、ノルウェー国立バレエ団に所属する。以前、ドキュメント映画『バレエ・ボーイズ』を取り上げたことがあったが、舞台は同じバレエ団だ。ノルウェー映画である。その意味でも興味深かった。
西野さんは15歳で英国ロイヤルバレエスクールに留学。1999年にノルウェーのバレエ団に入団し、その6年後、東洋人初のプリンシパルに抜擢された努力家だ。
172cm、日本人バレリーナとしては長身。日本国内でより欧米で活躍できる逸材だった。彼女が英国に留学する経費は両親が自宅や車を売って捻出された、といった逸話なども紹介される。彼女はそんな両親の献身にこたえるべく不退転の決意で練習に励んだ努力の人として紹介される。彼女をとりまくいくつかの挿話を織り込みながら主題は、プリンシパルの座を自ら降りる危機、しかし、ひとりの女性にとっては至福の瞬間、まさにターニングポイントを迎えた西野さんを描く。
以前、米国映画、バリシニコフも出演した『愛と喝采の日々』を紹介したことがあった。
女性バレリーナの恋、結婚、そして出産をあきらめて名声をほしいままにしたプリンシパルと、結婚・出産を機に自ら栄光の階段を降りたバレリーナ、そのふたりの友情と相克、そして和解を描いた作品だった。そういうことはバレエ外史として世界各地で起きていることだろう。しかし、ドラマとして描かれることはあっても、実録として記録された映画『マイコ』は貴重な作品になった。むろん、彼女が現役のプリンシパルとして、その芸術をまず披露できる、見映えする映像が撮れたという点がクリアされているからこそ映画は迫真のドラマになった。
プリンシパルの年間スケジュールはほぼ前年に決まる。その決定に沿って共演者の配役なども決まっていき、公演にそなえて綿密な練習スケジュールも立てられる。まさに、そうした時期、劇場の公演日程が印刷された時期、西野さんは妊娠する。伴侶はノルウェー人。
バレリーナとして長いブランクが生じる。妊娠・出産によって肉体のバランスも崩れ、筋力も落ちる。それを妊娠前の状態に戻すのは至難の業なのだ。だから、出産を機に引退するバレリーナが多くなる。
カメラは、そんな西野さんに寄り添いながら、同情めいた質問など無用と追いつづける。ときに冷徹と思えるほどカメラは辛らつに西野さんの焦燥すら描き出す。ながれる汗、荒い吐息、苦痛・・・練習、肉体のケア、練習、また練習。映画では明示されていないがゲネプロを数日後に控えた某日という段階でも失敗してしまう、あの黒鳥姫オディールの32回のグランフィッテで。しかし、本番では見事に魅せる。映画はちゃんと最後に見せ場を用意をしてあった。それは、長い両手がしなやかに舞う見事な舞いであった。
バレエ団は西野さんの代役も用意していた。その代役の動きを注視する西野さんのお腹は膨らんでいた。そんなシーンも捉えている。そこに余計な言葉も入らず、稽古場の熱気だけがBGMとなっていた。
西野さんは幸福な人だ。まだ開花にほど遠い娘の才能と意思の強さだけを信じ、惜しみなく援助を与えつづけた家族、そして“主夫”の座もいとわない旦那さんにも恵まれて。しかし、彼女もそう長くはバレエ団の主座に君臨してはいられないだろう。そう遠くない将来、プリンシパルの座をみずから明け渡すことになるだろう。それが残酷な宿命だ。だからバレエは美しい。散りゆくの花のいっときの華を鑑賞するばかりなのだから。
『ロパートキナ』(マレーネ・イヨネスコ監督)について語る余白はなくなった。ポスターのコスチュームは「瀕死の白鳥」のもの。制作、営業サイドはロシア、マリインスキー・バレエのプリンシパルを「白鳥」に象徴させたようだが、映画ではウリヤーナ・ロパートキナは静かな語りながら、日本でというより、ロシア以外では定番とはなっていない『愛の伝説』への執着を繰り返す。その熱意につられたように映画の冒頭と最後は1961年、マリインスキーの前身キーロフ劇場時代に初演された同作を舞うロパートキナを映し出す。彼女が語っているわけではないが、おそらくパブロアによって完成された『瀕死の白鳥』のように、〈私自身は『愛の伝説』を古典として完成させた〉という思いがあるのだろう。
映画はいままで外国人の映画クルーの侵入を拒んできたキーロフ=マリインスキー劇場がはじめて受け入れたということでも注目されている。今年上半期にモスクワ・ボリショイ劇場に外国人としははじめて英国人映画クールが入って話題となった映画が公開されたが、『ロパートキナ』はフランス人クルーによって制作された。
おそらく近年の原油価格の下落で経済的に苦境にあるロシアの現状をみれば、公的援助はかなり厳しくなっているのだと思う。背に腹はかえられないと、どういう名目化はわからないがカメラを入れる代償として、マリインスキー、ボリショイは多額の金を受け取っているはずだ。それが現実だ。ソ連邦が崩壊したときおおきな打撃を受けた両劇場だったが持ちこたえた。政治的な危機を乗り越えて、いままた経済危機にあるとも思える。
映画の地球 バレエと映画 4 『バレエボーイズ』『ボリショイ・バビロン』
映画の地球 バレエと映画 4
『バレエボーイズ』『ボリショイ・バビロン』
華やかに気品をそなえ、激しい跳梁と美しい静止の連鎖に満ちたバレエを映像があますことなく追い表現できる技術が完成して以降、多くの映画が生まれた。そして、この分野の映画はまだまだ欧米偏重である。日本にダンス映画はあっても本格的なバレエ映画は生まれていない。伝統の力の差だろうが、といって日本のバレエ界が貧困というわけではない。むしろ、豊潤といっていいぐらいだ。邦楽の舞踊世界にそれは劣らないが、それはまたの機会として、最近、つづけて観た2本のバレエ映画を紹介しておきたい。
すでに公開がはじまった『バレエボーイズ』は少年たちがバレエを通して成長する姿を描いたドキュメント。バレエ界では辺境ともいえるノルウェーから届いた佳作だ。
少年を主人公にしたバレエ主題の傑作は英国が先行した。サッチャー政権下、エネルギー政策の転換で多くの炭鉱が閉山した。その時代、炭鉱離職者問題は英国では大きな社会問題となった。映画『リトルダンサー』は職を失った炭鉱労働者を父にもつ少年が、父が期待するボクサーの道を外れ、しなやかな意志でバレエを学びはじめる話。社会性とバレエが見事に融合した作品だった。その少年はやがて名門ロンドン・ロイヤルバレエのプリンシパルとなる。
『バレエボーイ』の3人の少年たちも名門からの声が掛かることを期待して13歳から16歳までを練習に励む日々をつづり、一人だけロイヤルバレエから声が掛かる。それまでの努力と研鑽の日々に容赦なく甲乙つけられてしまう世界。名門から声が掛かってもデビューを意味するわけではない。少年たちの成長物語のなかにバレエ、否、自己実現へ向けた途上、刻苦を冷徹にみつめた秀作だ。
大戦後、バレエを革新的に牽引しているのは圧倒的に男性舞手たちだ。シルヴィ・ギエムや、賛美者と批判者の声高いゆえに革新的といえるピナ・パウシゥの振り付けなどの活動は特筆すべきとしても、やはり男性舞手たちを先導者とすべきだろう。
しかし、伝統的なロシア・バレエはやはり女性舞手にスポット浴びせる。といってロシアからはヌレエフ、バリシニコフはじめ多くのロシア男性舞手が西側に流出、亡命して大きな仕事をパリやニューヨークで行なった。
『ボリショイ・バビロン』。いうまでもなくモスクワの中心に建つロシア・バレエの殿堂、そのボリショイで2年前、芸術監督が覆面の男に硫酸を掛けらるという事件が起きた。恋人を主役にしてもらえかった腹いせに犯行に及んだ、と言われた。事件は世界中に流れ、筆者も日本の新聞で読んだ。映画はその事件の真相を英国の映画陣が取材するという手法で舞台裏からボリショイを描いた貴重なフィルムだ。
当時、筆者が贔屓にしていたニーナ・アナニアシヴィリはすでに後景に退いていた。彼女のデビュー期、ボリショイで『ドン・キフォーテ』でその清楚な華やぎに魅せられている。
ファッション界を俗に「綺麗な女たちの醜い世界」というが、バレエもまた裏にまわれば優雅さを覆う醜悪な世界ともいえる過酷さがある。しかし、その舞台の袖から眺める、いや、記録上、カメラが捉えたステージはやはり完璧な美に満ちている。断片的に撮られた舞台袖からのアングルで捉えた鋭角的なステージすら絵になってしまう。それがボリショイの力だと今更ながらに驚嘆する。
ロシアは秋がいちばん美しい季節。“黄金の九月”という。そろそろボリショイの新しいシーズンがはじまる。その時期にあわせて公開される映画だ。
映画の地球 バレエと映画 3 映画『pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』ヴィム・ヴェンダース監督
映画『pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』ヴィム・ヴェンダース監督
ヴェンダース監督は同時代のすぐれた創造者に対する畏敬の念が強い。
監督自身も映像を手がかりに20世紀後期から現在進行形で「現在」を鋭敏に批評してきた時代の一大個性である。
独自の世界観を映像として提出できる卓抜な技術と、それを支えるゆたかな感性は世界各地に信奉者をうんだ。そういう屹立する個性だ。
優れた個性とは、自分になしえない仕事を尊重する謙虚さを同胎させている。ヴェンダース監督は、自らの手練になじまない表現手段で「現在」を語る才能を見出したとき、率直に畏敬してはばからない。しかし、それを見つめる視線はやさしいが。映像のなかに形象化するときの視覚は厳しく、その都度、手法を換えてきた。
スペインのカルロス・サウラ監督はフランメンコとタンゴ、マーチン・スコセッシ監督はロックとR&Bを時代の生命力として賛美しつづける。ふたりは母語の言語圏内で最良の仕事をしているが、ヴェンダースは国境を超え、言語の壁を透り抜けドラマを創ってきた。『リスボン物語』を撮りファドを町に徘徊させ、『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』でキューバの老音楽家たちの生活
を語り、音楽を通して質朴な人間の喜びを語りつくした。
ピナ・バウシュはドイツが生んだ20世紀後期を代表する振付家、というより舞踊と演劇の垣根を取り去って、あたらしい舞台芸術を創造した才能いえるだろうか。ダンサーには象徴的な演技力が求められる。音楽に乗っていてもダンサーは言葉を発しない。鍛えられた身体で五感を放つ。ピナはそこに20世紀後期を生きるあたらし話法を加えっていった。
テーマは愛、そして孤独だろう。ピナの舞踊をみていると、モーツァルトの美しく軽やかな音楽の底に潜んでいる孤独、寂寥の気配、あるいは諦観といったものまで感じてしまう。そこには単純な愉悦や高揚といったものはない。観る者の肺腑を抉るような痛苦まで感じさせる激しい批評性が秘められている。監督は、そんなピナの批評性を映像の力で瞬間芸術を定着させた。
一地方都市の舞踊団に過ぎなかったヴァパタールを世界でもっとも刺激的なモダン・バレエ集団と育てたピナ、その活動はドイツを中心に拡張していった。その道のりのなかで国籍に囚われることなく個性的な才能を国境を超えて取り込み充実させた。
団員たちのモノローグが随所に挿入されているが、すべてダンサーたちの母語で語られる。ヴェンダースはピナの個性を描きながら、彼女の才能にあこがれて入団した多国籍のダンサーたちを育んだ母国の文化である言語で語らせることによって映画は国境を溶解させる。すぐれた芸術表現の前に国境は不在となるという監督の密かなテーゼはこの新作でもいきてる。
本作は3D映画ということでも話題を集めるだろう。
ハリウッドの娯楽映画『アバター』の見世物的要素の濃い作品では3Dは確かに雄弁な効果を上げることは確かだけど、舞踊映画でもかくも雄弁な効果を上げることを証明した作品として、本作は映画史上にまちがいなく遺こる。しかし、ピナは本作の完成をみずに他界した。遺作となった。
瞬間と空間の芸術である舞踊は同時体験者としての観客の数は限られる。万人が平等に感受できる芸ではない。それが音楽や文学、複製できる芸術との徹底的な差異であり宿命である。そこに複製芸術としての映画の効用、出番がある。 ヴェンダースはそれを第一義に目指したのだろう。3Dの効用を計量した後、ピナの才能を通し、娯楽映画に傾斜していた3Dを芸術表現の領域まで高めた。
臨場感ということなら、いわゆるかぶりつき、相撲でいえば砂かぶりの特等席を与えてくれた。汗を飛ばし飛翔するダンサーは3Dの空間を飛翔する。懊悩し、突き出された両腕は観客の目の前をよぎる。
野心的な秀作である。