映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 これから公開 『永遠のジャンゴ』 エチェンヌ・コマール監督

 

映画『永遠のジャンゴ』 エチエンヌ・コマール監督 

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 ジャンゴ・ラインハルト、ヒターノ(ジプシー)出身の不世出のギターリスト。筆者には親しい名だが、ほとんどの読者にはなじみがないだろう。日本で流通しているCDも極端に少ないし、筆者が所蔵しているアルバムもすべて米国製の輸入盤だ。しかし、出身のベルギー、そして主たる活動地であったフランス、戦後の米国で大きな影響力を持ち、いまも畏敬されている存在として音楽ファンなら知っておくべき存在であるはずだ。
 映画ファンならウディ・アレンの映画『ギター弾きの恋』を思い出してもらえばよい。同作は、ラインハルトに捧げられたものだ。
 本作では、ラインハルトの波瀾に富んだ人生のな かにあって、その個性的な音楽の完成期が第2次世界大戦と重なり、多大な人気は獲得はしているが、ヒターノとして民族差別に晒されている。彼の波瀾に富んだ人生を象徴的に集約する時期に焦点をあてている。パリはナチ・ドイツ占領下におかれていた。
 序章として戦争前のベルギーにおけるヒターノ、占領下のパリでの彼らの置かれた状況などが写され るし、エンディングではナチの強制収容所で亡くなったヒターノたちの顔写真が連綿と映し出される。ナチ・ドイツはユダヤ人ばかりでなく、ジプシーも抹殺リストに加えていた。ドイツ国内、あるいはナチ占領下でユダヤ人音楽家がおかれた状況を思い出してもらえばいい。映画ファンなら、ワルシャワ在住のユダヤ人ピアニストがゲットーを生き延びた日々をつづったポランスキーの映画『戦場のピアニスト』を思い出してもらえばいいだろうか。ヒターノ音楽家もまた同じような迫害を受けている。
 
 ラインハルトはベルギー周辺を放浪するジプシー集団のなかで生まれ、子ども時代を過ごす。音楽集団でもあるヒターノ共同体のなかで、ギターを自己表現の手段として選びとった彼は、それを生業としてゆく。芸術とか、そういう高尚のものではなく生き延びる手段としてギターの表現力をゆたかなものにしていった。やがて、時代の潮流を呼吸し、卓抜なテクニックで感性を引き出す名手として、ナチ・ドイツの将校すら一目置く存在となる。その"名誉〟ある地位を利用して、ヒターノ同胞を中立国スイスに逃避させる密命を受ける。自身も亡命する。その大戦下のある時期を限定してラインハルトの音楽と生活を描いた作品だ。
 パリ の活動は、映画では明示されていないが、占領下のパリ芸能史などを紐解くと、そこにラインハルトが主宰した「ホット・クラブ・ド・フランス」がジャズ・フェスティヴァルを開催したことなどが記されていて、映画の映像化はそうした資料によっていることが分かる。ということで、音楽映画としても、ラインハルトの音楽が堪能できるしかけだ。
 
 ラインハルトを演じるのはアルジェリア系フランス人のラダ・カテブ。名声を博した音楽家を演じる俳優はときに過剰なヒー ロー性を発揮して辟易することが多い。ラインハルトもまたヒターノとしての奔放性、生活の規範からはみ出してしまう、以って生まれた野生を体臭がらみで表出している。そういう生きざなから、自分の音楽は涵養されているのだ、という主張性もある。そして、戦時下で逼迫した民族のひとりであるという現実に対する苦汁も演じなけければいけない。名声、絶大な人気者のヒターノとしての居心地の悪さもラダはよく表現しているのだった。
 筆者がラダ・カテブという男優を明瞭に自覚したのは、2014の傑作『涙するまで、生きる』における演技であった。カミュの短編を映画したもので、フランス占領下末期のアルジェを舞台にしている。
 その映画において寡黙なアルジェリア青年を演じた、その姿をみてからだ。主演を雄弁な〈沈黙〉で喰ってし まった、その演技力には圧倒された。その映画では助演者という位置だが、映画の大半 を二人の役者で演じきった映画は、その熱い沈黙が支配する沙漠、荒涼とした高原にしみこむような人間のちっぽさと、生きることの意味を考えさせる、諦観にまみれた青年を演じ切っていた。苛酷な蘇生の話であった。『ジャンゴ』の試写ののち、再度、『涙するまで~』を見直したが、筆者の評価はさらに高いものになった。
 
▼11月25日、東京地区公開。