映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 ドキュメント映画『ニュルンベルク裁判 人民の裁き』 ロマン・カルメン監督

ドキュメント映画『ニュルンベルク裁判 人民の裁き』 ロマン・カルメン監督

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 今年、まだ寒い時期だったがNHKで数回に分けたドラマ「東京裁判」(表題失念)があった。裁判に関わった各国の検事たちの人間ドラマで、興味深く視聴した。検事たちが当時、宿泊、また資料整理や執筆活動のベースとした旧帝国ホテル、現在、愛知県犬山の明治村に移築保存されているライトの設計になる関東大震災でもびくともしなかった建物だが、同ホテルでの各検事たちの駆け引き、暗闘も語られるなどなかなか見応えのあるドラマであった。
 東京裁判はむろん、ニュルンベルク裁判を模倣・踏襲している。
 国際的にそれまで前例のなかった、敗戦国の指導者たちを裁判にかけるという事例をつくることになった両裁判だが、当初、米国などは反対していた。しかし、英国のチャーチル 首相が、ドイツのユダヤ民族に対するジェノサイドなどの「犯罪行為の懲罰は、今や戦争目的の一つ」であるの発言受け、ソ連も同調、やがて連合国の総意となり開廷根拠ともなってゆく。つまり、両裁判とも戦争行為の持続、と連合国自身が認めているのだ。とすれば、もとより、そこに裁判の公正などはあるわけがない。「戦争」は勝たなければならないのだが、裁判でも〝無条件降伏〟を強いる。東京裁判でインド代表の首席検事が裁判そのものに疑義を表しつづけ、公判中に大部の批判文書(一部邦訳されている)を書いたことは忘却できない。
 本作は無論、ソ連の立場から裁判の推移を俯瞰した内容だ。ソ連の映画スタッフは最初から記録映画を制作するという姿勢から裁判前から、資料作成に奮闘するスタッフたちの様子、記録文書、映像記録の発掘などを丁重に取材していた。裁 判でソ連検事たちの活動ぶりが目立つのは当然のことだが、本作を通じて、ふだん、いわゆるナチ物映画などで繰り返し描かれるヒトラーはじめ、ゲッペルス宣伝相、ヒムラーSS長官といった重鎮たちは自殺して裁判には登場しないが、ゲーリング元帥、ヘス・ナチ党総統代理、ヨードル国防軍最高司令部作戦部長といった指導者たち、加えて企業経営者、銀行家なども被告と登場する。そうした被告たちがナチ物映画ではほとんど登場しない。
 しかし、本作の真の意図は裁判を描いて、裁判にはない。裁判で明らかにされたナチズムの犯罪、それに関わったドイツ人たちはいま西ドイツで、このように復権し、ファシズムの温床となりつつある、とニュース映像を後半部で畳み掛ける。そして、そうした厚顔無恥な西ドイツに対して、ソ連と協働する東ヨーロッパ諸国では、すでにファシズムと不退転の覚悟で戦う人民 政府が生まれている、と喧伝するのだ。そこに映画の意図があることは確かだ。
 ニュルンベルク裁判にソ連政府は当初、ドイツからもぎ取ったバルト三国の代表を出席させようとして、英国などに拒否されている。裁判前からすでに「冷戦」の暗闘があった。そういうことを知らしめてくれる貴重な記録映像である。62分と短尺の作品でありながら重厚感があり、それなりの疲労感が生じるのは、ソ連当局が独自に撮影した貴重な映像、捕獲した記録映像・写真などが随所に挿入されたリアリティの重さによる効果だろうし、当時、東欧諸国で急速に進められているソ連圏の再編というドラマが裁判の背景にあることを知るからだろう。この頃、同時にソ連圏に繰り込まれ国境が封鎖される前に西側へ脱出しようという人の群れ、難民 たちの苦難の逃避行が始まっていた。チャーチルがいうように裁判が戦争行為の延長というなら、難民の群れもまた、その犠牲者たちだろう。