映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 バレエと映画 5 『マイコ ふたたびの白鳥』 『ロパートキナ 孤高の白鳥』

二つの注目すべきバレエ映画 来春、相次いで公開
 『ロパートキナ 孤高の白鳥』『マイコ ふたたびの白鳥』

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 2作とも「白鳥」がサブタイトルに飛翔している。しかし、ロパートキナサン=サーンスの「瀕死の白鳥」、マイコはチャイコフスキーマリウス・プティパ白鳥の湖」。ともに女性監督による現役、プリンシパルを主人公としたドキュメントだ。
 バレエのドキュメント映画を批評するのはむずかしい。というより矛盾を抱えている。評者はどうしても知名度の高いバレリーナに注目してしまうし、バレエファンならなお更だ。また、興行的にも知名度の高い主人公を据えた映画はよりキャパシティのある劇場で公開されるのは必然で、宣伝に経費をかけるから試写の回数も必然、多くなり批評家の目に触れやすくなる。 
 しかし、映画批評としてみればプリンシパルとしての技量は等閑視される。否、しなければならない。映画批評においてはプリンシパルギャランティーは関係ない。たとえ、「瀕死の白鳥」をバレエの至宝と育てたアンナ・パブロワを描こうが、同時代のニジンスキーを描こうが、映画として駄作なら批判は受けるのである。たとえスクリーンで至高の美を捉えたとしても、それは映画の完成度に貢献する1パーツでしかない。
 その意味では、70分という短尺の『マイコ』(オセ・スペンハイム・ドリブネス監督)は評価される。マイコとは大阪出身のプリマ・西野麻衣子。現在、ノルウェー国立バレエ団に所属する。以前、ドキュメント映画『バレエ・ボーイズ』を取り上げたことがあったが、舞台は同じバレエ団だ。ノルウェー映画である。その意味でも興味深かった。
 西野さんは15歳で英国ロイヤルバレエスクールに留学。1999年にノルウェーのバレエ団に入団し、その6年後、東洋人初のプリンシパルに抜擢された努力家だ。
 172cm、日本人バレリーナとしては長身。日本国内でより欧米で活躍できる逸材だった。彼女が英国に留学する経費は両親が自宅や車を売って捻出された、といった逸話なども紹介される。彼女はそんな両親の献身にこたえるべく不退転の決意で練習に励んだ努力の人として紹介される。彼女をとりまくいくつかの挿話を織り込みながら主題は、プリンシパルの座を自ら降りる危機、しかし、ひとりの女性にとっては至福の瞬間、まさにターニングポイントを迎えた西野さんを描く。

 以前、米国映画、バリシニコフも出演した『愛と喝采の日々』を紹介したことがあった。
 女性バレリーナの恋、結婚、そして出産をあきらめて名声をほしいままにしたプリンシパルと、結婚・出産を機に自ら栄光の階段を降りたバレリーナ、そのふたりの友情と相克、そして和解を描いた作品だった。そういうことはバレエ外史として世界各地で起きていることだろう。しかし、ドラマとして描かれることはあっても、実録として記録された映画『マイコ』は貴重な作品になった。むろん、彼女が現役のプリンシパルとして、その芸術をまず披露できる、見映えする映像が撮れたという点がクリアされているからこそ映画は迫真のドラマになった。
 プリンシパルの年間スケジュールはほぼ前年に決まる。その決定に沿って共演者の配役なども決まっていき、公演にそなえて綿密な練習スケジュールも立てられる。まさに、そうした時期、劇場の公演日程が印刷された時期、西野さんは妊娠する。伴侶はノルウェー人。
 バレリーナとして長いブランクが生じる。妊娠・出産によって肉体のバランスも崩れ、筋力も落ちる。それを妊娠前の状態に戻すのは至難の業なのだ。だから、出産を機に引退するバレリーナが多くなる。
 カメラは、そんな西野さんに寄り添いながら、同情めいた質問など無用と追いつづける。ときに冷徹と思えるほどカメラは辛らつに西野さんの焦燥すら描き出す。ながれる汗、荒い吐息、苦痛・・・練習、肉体のケア、練習、また練習。映画では明示されていないがゲネプロを数日後に控えた某日という段階でも失敗してしまう、あの黒鳥姫オディールの32回のグランフィッテで。しかし、本番では見事に魅せる。映画はちゃんと最後に見せ場を用意をしてあった。それは、長い両手がしなやかに舞う見事な舞いであった。
 バレエ団は西野さんの代役も用意していた。その代役の動きを注視する西野さんのお腹は膨らんでいた。そんなシーンも捉えている。そこに余計な言葉も入らず、稽古場の熱気だけがBGMとなっていた。
 西野さんは幸福な人だ。まだ開花にほど遠い娘の才能と意思の強さだけを信じ、惜しみなく援助を与えつづけた家族、そして“主夫”の座もいとわない旦那さんにも恵まれて。しかし、彼女もそう長くはバレエ団の主座に君臨してはいられないだろう。そう遠くない将来、プリンシパルの座をみずから明け渡すことになるだろう。それが残酷な宿命だ。だからバレエは美しい。散りゆくの花のいっときの華を鑑賞するばかりなのだから。
 『ロパートキナ』(マレーネ・イヨネスコ監督)について語る余白はなくなった。ポスターのコスチュームは「瀕死の白鳥」のもの。制作、営業サイドはロシア、マリインスキー・バレエプリンシパルを「白鳥」に象徴させたようだが、映画ではウリヤーナ・ロパートキナは静かな語りながら、日本でというより、ロシア以外では定番とはなっていない『愛の伝説』への執着を繰り返す。その熱意につられたように映画の冒頭と最後は1961年、マリインスキーの前身キーロフ劇場時代に初演された同作を舞うロパートキナを映し出す。彼女が語っているわけではないが、おそらくパブロアによって完成された『瀕死の白鳥』のように、〈私自身は『愛の伝説』を古典として完成させた〉という思いがあるのだろう。
キナ2
 映画はいままで外国人の映画クルーの侵入を拒んできたキーロフ=マリインスキー劇場がはじめて受け入れたということでも注目されている。今年上半期にモスクワ・ボリショイ劇場に外国人としははじめて英国人映画クールが入って話題となった映画が公開されたが、『ロパートキナ』はフランス人クルーによって制作された。
 おそらく近年の原油価格の下落で経済的に苦境にあるロシアの現状をみれば、公的援助はかなり厳しくなっているのだと思う。背に腹はかえられないと、どういう名目化はわからないがカメラを入れる代償として、マリインスキー、ボリショイは多額の金を受け取っているはずだ。それが現実だ。ソ連邦が崩壊したときおおきな打撃を受けた両劇場だったが持ちこたえた。政治的な危機を乗り越えて、いままた経済危機にあるとも思える。