映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 プーチン大統領下のロシア映画 6 『デイ・ウォッチ』(2006・ティムール・ハベンスキー監督)

 『デイ・ウォッチ』(2006・ティムール・ハベンスキー監督)

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  監督は、その名から知れるように中央アジア、現在は域内大国として経済発展しつづけるカザフスタン出身のフィルムワーカー。ティムールとはウズベキスタンの民族英雄だが、ソ連時代に生を享けた監督は汎中央アジアの英雄としてその名を与えられたのだろう。ジンギスカンフビライにつぐ巨大帝国を築いた稀代の英雄を映画の冒頭で登場させる。自分の名の鼻祖であるティムールをわざわざ登場させるのは、カザフスタン人としての心意気だろうし、むろんソ連邦時代にはありえない描写だ。
  ソ連邦が解体し、ソ連の映画界は大きく表現領域を拡大した。元々、モスクワとサクトス・ペテルブルグにあった二大撮影所のポテンシャルは高かった。ソ連時代にも、「いまは叶わない映像も、やがて季節(とき)至れば、プロフェショナルとしてハリウッドに対抗できるものを作ってみせる」との意気込みもあった。そんな心意気を感じさせるSFバトルアクションが本作だが、ロシアで制作する限り、荒唐無稽なSFX映画であろうとも現実政治の批評がそこに入りこむ、入りこんでいる、とみられる。       
 映画は「光」と「闇」の勢力がせめぎ合い、表裏一体の混沌の時代となっているという設定。錯綜し混在しソ連解体後の混迷に呻吟するロシアを暗喩する。冒頭、ティムールの武断は、カザフスタンウズベキスタンイスラム教徒たちを批判するのではなく、新生ロシアはこれから中央アジアの力を無視できなくなる、と監督は暗に主張しているように思う。中央アジア諸国は周知の通り資源大国である。中国や韓国、そして日本も資源開発に先行投資しているのが現状だ。特にカザフスタンとながい国境を有する中国が進出は注視しなければならないだろう。
 
 映画の大半を占めるVFX多用のアクションシーンは映画の娯楽的要素を発散する重要な仕掛けであって、「光」と「闇」がどうなっているのか、錯綜していてわからなくなるといった解釈はほとんど無用。ただただ、そう描いてある、と見物し惹きつけられていればいい。大した意味はない。そうたっぷり視覚を愉楽した後、そこで主役を担っていた登場人物は、いきなり1992年の某月某日の夜に引き戻される。タクシーの運転手がソ連解体後、モスクワに急速に溢れ出したネオン、広告塔を横目に現代を嘆くというシーンに戻る。そのワンシーンを描くために長大な娯楽としてのバトルがあると見え透いているのでもある。
 1992年、プーチンはまだサクトスペテルブルグの上級役員といった位置で中央政界にはでていなかった。
 つまり、映画で描かれる「光」と「闇」の混乱はプーチンが最高権力者として実験を握る前のロシアということになる。これは、プーチン大統領1期目の時代、2006年に制作・公開された作品だが、映画の最終シーンで現れるメッセージから受け取れるのは、プーチン大統領が統治の開始とともに、〈混乱は急速に収束にむかった〉という評価につながる。それはプーチン政治が国外から、独裁的手法、人権抑圧だ、といくら批判されようとロシアの風土に似つかわしいものと国内では支持され、その後、再選、再々選されたことで証明されていると監督は暗に主張しているようだ。
 ダークSFとしてリドリー・スコット作品のように陰鬱なのは、ロシアのSF映画の特徴だ。かつて、タルコフスキーが描いた『惑星ソラリス』もまた陰鬱な 唯心論的な作品であった。故に、タルコフスキーソ連政府から疎まれていった。ハベンスキー監督は、唯心論を大手を振って語れる時代に仕事をしている、ある意味、しあわせな映像職人である。