映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 アフリカを描く 3 *シエラレオネ『ブラッド・ダイヤモンド』エドワード・ズウィック監督

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 2006年、レオナルド・ディカプリオは、本作でアフリカの貧しい白人入植農民の息子、長じて傭兵崩れのダイヤモンド密売人となったアーチャーを演じてオスカーの主演男優賞の候補になっている。

 主題は、先進国の宝飾メーカーがアフリカの小国の紛争を利用して不当に利ざやを稼ぎ、紛争の混乱のなかで教育もまともに受けられない少年たちを兵士に仕立て上げ内戦を泥沼に導いている北の資本家たちへの糾弾ということになるだろう。必然、アクション・シーンが多くなるが、背景説明が〈現在〉の時点からの台詞だけの回顧となってしまって、その辺りの掘り下げは浅い。
 アフリカの土地にしがみつかなければ生きてはいけなかった貧しい白人植民者の息子という出自。その植民の地が独立した際、被征服地の先住の民の怒りは憎悪となって沸騰し白人植民者に向けられ、アーチャーの父母は惨殺された。かろうじて南アフリカへ逃避したアーチャーは、アパルトヘイト下の軍隊でゲリラ戦のノーハウを仕込まれ、冷戦下のアンゴラで大義のない戦いのなかで人間性を喪失してゆく。二重にも三重にも厭世観にとらわれている青年の役だ。

 ダイヤモンドの密売に手を染めるのは、それが命がけの仕事、という緊張感と、利益の多さだけだ。生きているから喰う、生きるために人を殺(あや)める。そんなデスペレーとな生き方だ。しかし、その絶望の深さが演技にあらわれていなし、映画そのものも主張過多で散漫になっている。

 一兵士として強制徴用された少年と父(ジャイモン・フンスー)の挿話も本作のサイドテーマで、その話しを膨らましても一遍の物語となる。現にフンスーの演技も評価され受賞は逃したがオスカーの助演男優賞にノミネートされた。しかし、父子との話だけになってしまうと社会派作品となってしまって娯楽性は希薄になり、アフリカの資源問題を広く知らしめる映画とはならない。ここにディカプリオという名の大きさがあり、彼が主演したことで娯楽性も獲得し、世界市場に出ることができた。大スターの公的存在理由は、そういう側面があるということだ。

 舞台となった西アフリカのシエラレオネの他に、台詞のなかで南アフリカアンゴラローデシアジンバブエリベリアという国が語られている。W杯サッカー、ラクビー大会を開催した南アフリカを除けば、大半の日本人には見えない国だ。いま国名を掲げたが、この並べ方はおかしいとすぐ気づいた人は国際感覚に鋭敏といえるかも知 れない。ローデシアジンバブエは同じ国であるからだ。ローデシアが英国より独立して黒人の主権国家となりジンバブエとなった。ディカプリオ演じる青年は、その植民地ローデシアに入植した英国人の父母のもとに生まれた。だから、彼はローデシアと語りつづける。彼とほのかな恋情を交わすことになる博愛主義者らしい女性ジャーナリスト(ジェニファー・コネリー)たちはジンバブエとしか言わない。そのあたりの細やかな演出は見落とせない。
 しかし、製作者たちのそうした意図は観る者に普遍的には伝わらないだろう。表題は、紛争の資金調達のため非合法的手段で取引きされている「紛争ダイヤモンド」の意味だが、日本人がその時事用語にどれだけ精通しているだろうか? 最近、首都圏で店舗拡大をつづけている宝飾品メーカー・ツツミは「紛争ダイヤモンド」は扱っていないと声明を出しているが・・・。
 現在、南スーダンで武力紛争がつづく地域は携帯電話などにつかわれるバッテリー用の希少金属の鉱床があることで悲惨な状況になっている。映画のなかで「(シエラレオネに)石油が出なくてよかった」と語る老人が登場する。現在の中東の紛争のおおきな要因もまた石油であってみれば、本来、埋蔵地をもつ国にとって掛け替えのない資源であるべきものが、ほとんど惨劇の温床となってしまっている。その矛盾をダイヤモンドに象徴化したのが本作である。

 本作にアントワープが登場するベルギーの都市だが、ここにダイヤモンドの 品質基準の選定、取引業者たちの倫理規定などを決める国際機関がある。
 ベルギーの発展もまた現在のコンゴ民主共和国を中心としたアフリカの地から富を収奪したことにある。特にレオポルド2世治世下におけるコンゴに対する圧政はすさまじく、総人口の5分の1が消えたといわれる。「イスラム国」戦闘員によるテロによってベルギーの首都ブリュセルが多大な被害を受けた。同市がテロ実行犯の潜伏場所となり、被害を受けたとき、レオポルド2世時代まで遡って南から審判が下されているように思ったのは、筆者ばかりではないだろう。
 
 シエラレオネの貧しい農民たちが強制労働 で川底の小石を掬いダイヤモンドの原石を探し出す光景は、アマゾン流域で金を探すブラジルの貧しい労働者たちの姿にも重なる。
 世界は不正に満ちている、と指弾したところで何も変わらないが、先進国といわれる国に住むわれわれは朝のコーヒー一杯から不正に加担している。それを自覚するかどうかは個人の知力と想像力、あるいは倫理観だろう。でも、そのコーヒーを飲むことは止められない。  2016-05-01記