映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

Ω 映画の地球  核戦争と映画 1 『原爆下のアメリカ』アルフレッド・E・グリーン監督

『原爆下のアメリカ』 (原題Invasion,U.S.A) アルフレッド・E・グリーン監督
 原爆下のアメリカ
 レンタルビデオ屋さん供給用にと、倉庫払底作業のなかから発掘されたようなB級SF映画。邦題、原題(侵略,U.S.A)もまた、なんとも工夫のない直裁なものだが、そこに冷戦時代の“熱戦”が象徴されているとみてよいのかも知れない。
 全米を魔女狩りの恐怖で覆った非米活動委員会が本格的にはじまった1953年制作の作品ということでも見落とせない。世は"赤狩り”の季節であり、隣人を疑え、という殺伐した世相下で、はじめて「核戦争」を主題とした映画が制作された。核実験で地層が変化し蘇生した原始怪獣が日本列島を襲う映画『ゴジラ』が制作されるのは、その翌年だ。
 シベリア経由でアラスカに侵攻した国を映画では特定していないが、ソ連に決まっているわけだが、その軍人たちの制服や仕草・動作、儀礼など間違いなくナチドイツ軍から援用されている。“鉄のカーテン”で遮蔽された向こうの現実は当時、隆盛期のナチズムと対置しうる恐怖感が米国にあった、とみるべきか。非米活動委員会の存在は、その裏返しのようなものであるわけだ。
 映画は「近未来」モノとなるが、近未来の「映像」はすべてアーカイブ映像の流用という安易さ。
 ニューヨークのとあるバーで語り合う男女6人の井戸端会議的な時局談義の最中、店内のテレビが「アラスカが軍事侵略された」と臨時ニュースを流す。以降、米国各都市が次々に原爆が投下されてゆく。ニューヨークも容赦しない。しかし、映画での「原爆」は通常兵器の巨大版という扱いで放射能がもたらす被害などまったく考慮されていない。つまり、この時期、米国映画界はヒロシマナガサキの核被害の実態はまったく共有されていなかった。政府自身が隠していた。この時代を諷刺したパロディ映画『アトミック・カフェ』が後年制作されるが、権力犯罪の一端を例証できる映画のサンプルともいえるのが本作だ。
 冷戦下、米国は核実験を国内の砂漠地帯で核実験を繰り返す。その際、多くの兵士が放射能被害にあっている。兵士自身もそれに気づかず退役後、深刻な後遺症のなかで苦しんだ。そして、政府に責任を問うでもなく沈黙と苦悶のなかで死んでいった。民衆の無知は、こうした映画からも生み出されるということだ。
 日本でも1954年に公開されているということだが、当時、どんな批評が出ていたのか興味を抱く。B級映画として無視されたのだろうか? お時間のある読者がいたら是非、調べて欲しい。 *2016-10-29