映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 布教と映画*マーティン・スコセッシ監督『沈黙』~カトリック諸国での反応

映画の地球 布教と映画*マーティン・スコセッシ監督『沈黙』~カトリック諸国での反応

f:id:cafelatina:20170822210424j:plain

 遠藤周作の代表作『沈黙』は、江戸初期、長崎・島原地方、隠れキリシタンの住む寒村を舞台に、信仰と棄教という二元論を真正面から描いた日本文学のなかでは特異な位置を占めるドラマであることは今更、言うまでもないだろう。小説は、仏教が習俗と化している土俗的な風土のなかで耶蘇教がどのように受容されていったかという織田信長時代の物語はすでに遠い過去となり、いまは苛烈な弾圧のなかで青息吐息となっている日本の辺境の物語だ。禁教となって久しい日本に命を賭して渡ってきたイエズス会士と日本人信徒の交流、弾圧する知識層の役人たちを交錯させながら描いた。1966年に上梓されて以来、いまも読者を失わない名作だが、カトリック作家・遠藤の文学はその主題に関わらず世界的な影響力は小さかった。それはカトリック風土のラテンアメリカでも存在感は小さかった。    
 そんなラテンアメリカの風土に遠藤文学の評価を促すきっかけとなっているのが現在、日本でも公開中の映画『沈黙』だ。米国のマーティン・スコセッシ監督が構想28年の末に 昨年、完成させた大作だ。1971年に篠田正浩監督が制作していて、当時、好評を得ているが、海外で広く知られることにはならなかった。
 スコセッシ作品は、良い意味でのマーケティングなのだが、先行上映をローマのヴァチカンにフランシスコ法王を迎え、聴衆も映画の修道士に合わせてイエズス会司祭たちを中心に多くが集まった。同法王は、イエズス会が生んだはじめての法王だ。そしてラテンアメリカカトリック教会出身(アルゼンチン)のはじめての法王でもある。
 ヴァチカンでの試写会には当然、中南米諸国の司祭たちも参加したようで、発信は同じ文面なのでヴァチカンに特派された記者が書いたものと思うが、中米各紙の報道によれば、遠藤原作はもとより、日本におけるカトリック信徒への過酷な弾圧、外国人司祭たちの殉教の実態などが意外と知られていないということだった。メキシコでは首都郊外のクエルナカバの中央大聖堂に、 長崎で殉教したメキシコ人司祭の像が描かれていることもあって、知る人も少ないない。それでも、その壁画の存在そのものを知る同国人は少ない。記事では法王が具体的な感想を述べた、ということは書かれていないが、
ヴァチカンで先行上映され、法王も参観したとなれば、それだけでカトリック諸国では大きな宣伝効果をもたらす。スコセッシ監督はなかなかしたたかである。篠田監督にはそうした発想はまったくなかっただろう。
 ちなみにラテンアメリカでのカトリック布教の主たる担い手は16世紀以降、フランシスコ会ドミニコ会が当たった。20世紀の中南米諸国で貧者の立場にたって活動し、時に法王庁から指弾されたり、破門されたのは聖職者の多くはイエズス会士であったが、ラテンアメリカにあってはイエズス会は後発組であったが、植民地時代には植民当局としばしば対立し、教会資産を没収されたり、国外追放されたりしている。学校教科書に出てくる話ではないが、日本にイエズス会が早く入り、布教に成功したのはヴァチカンから東アジア地域での活動からの指示でもあった。後年、日本での布教失敗はいろいろ論議されるのだが、もし、日本での布教活動をフランシスコ会ドミニコ会などが担当したら、また違った様相を帯び、強いては日本の歴史もまた違うものになったのではないか、という話はある。