映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 アフリカを描く 1 ケニア*映画『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督

映画『おじいさんと草原の小学校』ジャスティン・チャドウィック監督 

おじいさんと草原の小学校
 アフリカのケニアが英国の植民地支配から苦難の戦いを経て独立したのは1963年のこと。ケニヤッタという精神的指導者の不退転の戦いよって独立は果たされた。
 そのケニアが小学校の無償教育をスタートさせる程度の経済力を身につけたのは2003年。40年も公教育の地盤、初頭教育すら叶わなかったという、この絶望的な時差にアフリカの貧困が象徴されているだろう。そこに、独立後の国づくりがいかに苦難に満ちたものであったかが象徴されている。

 首都ナイロビ郊外には世界最大ともいわれるスラム街が広がっている。欧米の製薬会社が、貧窮するスラム住民の無知につけ込んでひそかに人体実験を繰り返している実態を暴いた映画があった。貧しいケニア人がそうした犯罪の犠牲になるのも基本的な教育の欠如なるがゆえの無知から来る。植民支配の傷はアフリカ諸国では些少の差はあっても、まだ血が吹き出るように開いたままだ。
 無償教育がスタートした、というニュースは僻村の村にも届く。それを聞いたマルゲおじいさん(オリヴァー・リトンド)はためらうことなく小学校の門を叩く。彼が84歳にして学びたいと切実に思うのは、政府から届いた一通の封書だった。彼はそれを読めない。いわゆる文盲である。
彼は、それを自分自身の知識、自ら選び取った識字の力として読みたいと強く思っていた。他人に読んでもらったのでは確証できない。文盲であるがために散々、辛酸を嘗めてきたであろうマルゲは、それが政府の公文書であることを知るから、安易に他人に読ませられないと思う。
 しかし、84歳にしてはじめて小学校の門をくぐったマルゲは、読み書きを学ぶだけでなく、獣医になりたいという“遠大”な夢、抱負をもっていたようだ。マルゲの半分の年齢だって小学生になるという選択はそうとう奇異な光景だ。先進国では考えられないことが貧困なるが故に起こる途上国ではあるけれど、ケニアでも特ダネ扱いのニュースであったらしい。そして、制度的な壁はケニアにも厳然としてあって、マルゲはさまざまな妨害にもあってしまうが、孫のようなジェーン校長(ナオミ・ハリス)のアシスタント資格で“入学”できた。
 映画はその女性校長との心の交流を通して展開される。ひ孫のような同級生たちとの日常光景も雰囲気よく描かれている。そこはなにやら児童映画の気配だが、マルゲの過去が絶えずフラシュバックされ、封書の謎が暗示される仕組みで、常道的なヒューマニズムと一線を画すドラマだと呼び返される。それでも、映画の核にある「学び」とは何か、という視点は明快で、「学び」の原点について考えさせる地肌をもっている。
 マルゲは独立運動の闘士であった。その闘争の日々のなかで、愛妻と子を英国植民地軍に殺されている。そういう虐殺シーンもオブラートに包まれずリアルに取り込まれている。しかし、家族を犠牲にしてまで戦い獲った独立ではあったが、マルゲのその後の生活は不遇だった。文盲ということもあっただろうし、ケニアばかりでないがアフリカの国づくりを困難にした部族対立も翳となっている。マルゲの出身部族は、男は生まれながらにして闘士といわれるキクユ族であり、ジェーン校長の出身部族もまた違うというふうに、民族の微妙な差異も暗示されてゆく。そう、マルゲを通してアフリカの現在進行形の問題が集約されたかたちで浮かびあがる。それはあまりにも痛々しい現実だ。
 「学び」出したマルゲだが、読み書きには幾段階の階梯があることを「学び」を通して認知したようだ。公文書に使われる言葉を正確に読み取るにはまだ時間がかかりそうだし、他人とはいえジェーン校長は全幅の信頼がおける人間だ、とマルゲは思う。ジェーン校長に、「私にはまだむずかしくて読めない」からと差し出す。

 そこに記載されているのは、10代から壮年時代まで、独立に捧げた日々、政治犯として刑務所をたらい回しされ、拷問に耐えた履歴そのものであった。マルゲが小学校に入ろうとヨボヨボと歩く冒頭のシーンは、老いて足が不自由になったから杖に頼っているのではなかった。拷問で足の指が切断されていたのだ。
 しかし、マルゲは前傾姿勢だ。そして“同級生”に学びの大切さをとき、自らの体験を濾過して民族の歴史を語る。マルゲは部族を超えたケニア民族のいきた象徴となりたかったのかも知れない。