映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球 ラテンアメリカの映画 5 ブラジル映画 『ニーゼと光のアトリエ』ホベルト・ベリネール監督 

映画『ニーゼと光のアトリエ』ホベルト・ベリネール監督 ブラジル
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 ノーベル賞の季節ということで、その辺りから入ろう。
 かつて精神疾患、特に統合失調症の患者に対して前頭葉切裁術が行なわれていた。その手術の結果、自我を奪う無気力にしてしまった。そのために人をしてロボットのようにしてしまうということからロボトミーといわれた。この手術を発展させたポルトガルの神経科医師エガス・モリスは、その“功績”で1949年にノーベル生理学・医学賞が与えられた。しかし、今日、ロボトミーの弊害は明らかになり否定され、禁忌の手術となっている。モリスが施術した患者に銃撃されるという事件まで起きた。ノーベル賞も時代の制約のなかでしばしば間違いを犯していることは明記しておく必要があるだろう。
 ロボトミーの弊害を説いた名作に私たちはすでに、ジャック・ニコルソンの名演で知る『カッコーの巣の上で』(ミロス・フォアマン監督)を持っている。本作はそれに併列させて語りついでいきたいような一篇だ。
 ブラジルにとって旧宗主国ポルトガルのアカデミズムが各界に影響を及ぼすのは当然だろう。そんな時代にロボトミーばかりか、電気ショック療法などすべて暴力的治療だと否定する精神科医が臨床に携わる。その女医ニーゼ・ダ・シルヴェイラ(グロリア・ピレス)の奮闘努力の物語である。

 舞台は1944年のリオデジャネイロ市郊外の国立精神病院。映画は、その病院を囲む無機質な鉄製の塀に覆われた正門、その小さな門扉を叩くニーゼの姿からはじまる。ニーゼは繰り返し叩く、沈黙をつづける戸の向こう。ニーゼを迎える困難、行方を象徴するようなシーンである。多少の飛躍、脚色はあるだろうが実話をもとにしたもので大きくは逸脱はしていない。
 病院に迎えられニーゼが建屋、深く入っていくほどに非人道的とも思える荒んだ光景が展開される。拘束される患者、電気ショック療法を受けているのか何処からか聞こえる叫び声、徘徊する患者、その辺りの描写はなにか異臭がただよってきそうな饐(す)えたリアルさがある。映画のなかでニーゼの治療を受ける10人ほどの患者たち、それを個性豊かな、というと語弊があるが、精神病患者たちを演じる俳優たちの「らしき」演技のリアリティさは凄みすら感じさせる。ニーゼを演じたグロリア・ピレスより賞賛したい思いが湧いてくる。その辺りも『カッコーの~』に覚えた感動の質と似ている。
 ニーゼは、看護師らがケダモノ呼ばわりする患者に対して、「クライアントと思いなさい」と自己改革を主張し、実践させてゆく。そして、いっさい暴力的行為のともなわい治療に献身してゆく。 
 箱庭療法というのか、その方面の知識は私にはないが、ニーゼはさまざまないっさい抑圧的な治療を排して模索してゆく。そこで出会ったのが絵画療法であった。患者たちの内面をうかがう手段として。患者ひとりひとりの表現の変化と行動の変化がみごとに重なってゆく微妙な演技、演出はすばらしく繊細であった。
 *2106年12月中旬、公開予定。