映画の地球 音楽の気流 そして書籍の宇宙

智慧の水球に揺蕩うように生きてきたわが半生。そろそろ御礼奉公の年齢となったようで・・・。玉石混淆、13年の日本不在のあいだに誉れ高きJAPONへの憧憬を募らせた精神生活の火照りあり。

映画の地球  プーチン独裁下のロシア映画 3 映画『スペツナズ ~ロシア特殊部隊』 アンドレイ・マルコフ監督

映画『スペツナズ ~ロシア特殊部隊』 アンドレイ・マルコフ監督

f:id:cafelatina:20170813012837j:plain

 ロシア及び旧東欧諸国の映画を丹念に拾い上げている彩プロのDVDの一作。もともと連続テレビドラマとして制作された約45分の番組から2本選び、まとめた編集。ロシア陸軍のいわゆる特殊部隊スペツナズの活躍を描く。昔、日本でも人気のあった米国の連続TVドラマ『コンバット』に良く似たシリーズだ。
 2006年の制作だから当然、プーチン大統領の1期目に放映されている。映画としてみれば取り立てて言及するほどの作品ではないが、たとえば1話目の旧ユーゴスラビアの特定はしていないが、設定からしてコソボを舞台にしているだろう。コソボの多数派アルバニア系、セルビア系市民は少数派、映画ではアルバニア系の武装組織によって残酷な弾圧を受けていると描き、国連が派遣した治安維 持のフランス軍へも容赦なく攻撃を仕掛けていると描かれる。
 つまり当時、欧米ないしEU諸国はアルバニア系住民の主権回復としてのコソボの独立を支援し、セルビア及びロシアはコソボセルビアの一地方として留まるよう支援しているという構図。本作は、セルビア市民のほうが被害者にあって、その市民たちを擁護する立場からスペツナズ兵士を派遣しているというわけだ。そんな戦争ドラマがロシアで制作され、全国放映されていたという映像資料である、ということだ。アルバニア系武装組織がセルビア正教会の司祭や信徒たちを残酷に殺戮するシーンはあざとい。
 2話目は中央アジアタジキスタンを舞台にしたものだが、 ここでは穏健なイスラム指導者を身を挺して反政府武装勢力から守っているという内容のものだ。ともにプロバカンダのきな臭い異臭に満ちている。

映画の地球 プーチン独裁下のロシア映画 2 『チェチェン・ウォー』 

地球の映画 プーチン独裁下のロシア映画 2 『チェチェン・ウォー』

f:id:cafelatina:20170812022340j:plain

 チェチェン紛争を描いたロシア映画のなかでは、もっともシナリオが練り上げられた作品が本作『チェチェン・ウォー』(アレクセイ・バラバノフ監督)だろう。この後に、ロシア映画におけるチェチェン紛争映画の微温的な姿勢を指弾する映画が国境の外で制作される。フランス=ジョージアグルジア)制作の『あの日の声を探して』(ミシェル・アザナビシウス監督/2014)が登場する。
 『あの日の声を探して』ではチェチェン語の音というはこういうものであったか、と親密感をもって語られている。
 ロシア映画のチェチェイ人はソ連邦の隷属の民という位置づけで、かつての公用語としてのロシア語に帰依しているというスタンスだった。その隷属から救ったのが『あの日の声~』であった。が、いまはまだ2002年のロシア映画を診断しなければならない。
 
 原 題は「戦争」。紛争とか内戦でなく「戦争」としている。この表題のつけ方は、プーチン政権が内政問題として欧米諸国からの批判を交わそうとした意図を明確に批判するものだ。『あの日の声~』の監督もチェチェンを国際戦争と位置づけている。
 プーチン政権は北京オリンピックの最中、世界が競技に夢中になっている時期にコーカサスの小国グルジアに武力侵攻した。その「戦争」を国境紛争と糊塗した。小国グルジアにとって国家存亡の危機だったが、大国ロシアにとっては国境紛争とみなそうとした。ロシアはこの後も、ウクライナ領のクリミア半島、東部国境地帯の強引な併合などもそうだ。だから、本作の監督が表題を「戦争」としたのは大きな意味があるし、その表題に「戦争」の醜さ、あるいは現代の「戦争」の特徴をシンボライズする意味で、そう命名したともいえるだろう。

 映画は、「人質」問題に集約されている。
 いうまでもなく今日の「イスラム国」は恐怖の常套手段として人質を残虐に処刑する。処刑執行者も仲間内での“肝試し”の通過儀礼のようにプログラマ化されている。
 小国、資金、兵員、装備に限界のある武装勢力が、大国、巨大な軍事組織に抵抗する手段として「人質」を確保し、それを担保にさまざまな作戦を取り、あるいは身代金を強奪する方法は軍事独裁政権が中南米諸国を覆っていた当時、反政府武装組織が繰り返し、有効な作戦として選択していたものだ。イスラム過激派の専売特許ではない。
 ただ、これまでの「人質」の処遇の仕方とはあきらかに違う。「イスラム国」は、人質の交換ということに興味を示していないかのように思える。だから、繰り返し、多くの人質を処刑し、その画像をネットで流しつづける。「国」ではないから、ジュネーブ協定の箍(たが)すら無視されている。

 閑話休題。映画に戻ろう。
 本作で人質となるのは、チェチェンの独立武装組織に拘束されたロシア軍のイワン軍曹(アレクセイ・ツアドブ)と、グルジアシェークスピア劇上演のためグルジアで公演旅行中に拉致、拘束された英国人俳優の男女となる。この映画がロシアの検閲を通ったひとつにロシアと領土問題を抱えるグルジアとチェチェイン分離主義者たちとを結びつけていることもあっただろう。しかし、いうまでもなくグルジアはロシアと同じように東方正教会の教義を国教とするキリスト国であることは忘れてはならない。
 
 囚われたイワンと英国人男性ジョンは、武装勢力から身代金を調達するため解放される。もし、期限まで身代金が調達できなければ、ジョンとともに人質になった恋人の女優をレイプして殺害すると強迫される。イワンは英語が話せるためジョンが英国に出るまでの手助け要員として解放されたわけだ。
 映画はジョンが身代金調達に難渋するロンドンでの撮影も行なわれている。必然、ジョンは恋人の釈放をもとめて政府に掛け合うが、「テロ集団との駆け引きにはいっさい応じない」という立場を崩さない。そんなジョンに某テレビ局が、これからロシア、チェチェン入りしてからの行動をいっさいをビデオ撮影してくるなら、その身代金の一部を肩代わりしようと申し出る。これはリアリティーのある話だ。そして、ジョンの素人カメラのアングルはルポルタージュのリアリティーのある画像を映画に挿入することができた。この辺りの作劇もうまい。

 ジョンは200万ドルを確保することはできなかったが、ともかく期限までにゲリラたちの根拠地を戻らないといけないとロシア入りし、道案内のためにイワン軍曹の助力を求めて、彼の住むシベリアの辺境に旅をする情景も映し出される。映画がチェチェンの乾いた風土だけでなく国境をまたいで動くので退屈させない。季節のよいシベリアの光景は美しい。
 イワン軍曹は殺されず解放されたのはいいが、故郷にもどっても仕事があるわけでもなく、生きている充実感がない。そんな心の隙間にジョンの懇請が忍び込む。今度は死ぬことになるかも知れない。しかし、そこには現在(いま)生きているという実感があることをイワンは知っている。

 ゲリラの根拠地に侵入した二人、そして武装勢力に反感もつチェチェン人農民の青年たちの果敢の行動で人質となった女優を解放するところまでたどり着くも・・・その先は語るのは辞めよう、これから観る読者のために。

映画の地球  プーチン独裁下のロシア映画 1 『タイム・ジャンパー』

プーチン独裁下のロシア映画 №4『タイム・ジャンパー』
タイム・ジャンパー

 アホなタイトル、どうとでも取れるメリハリのないポスター・・・・・・を見ればB級映画で予想される範囲はできないだろうと思ってしまう。それでも観る気になったのは復活ロシアの映画界がタイム・スリップモノをどんな手さばきで調理しているのかという興味のみだった。
 冒頭、ロシア版ラップのけたたましさのなかでサンクト・ぺテルブルグの中心街の光景が流れる。ネヴァ河に面したエルミタージュ、教会伽藍、広壮高雅な雰囲気を観光ビデオのように流れる。盛夏に撮ったということで真冬、午後2時には暮れてしまうドフトエフスキー風憂鬱さは陰りもみせない。自由経済となったいまも欧米都市ほどコマーシャリズムに汚されていない気品は確かにある。しかし、レニングラード時代のその町を親しく旅した者の目からみれば、それはまったく蘇生したような美しい町にみえる。
 
 映画の主人公4人の青年の生業はまぁチンピラ、あぶく銭を稼ぐために市郊外の戦跡から埋もれた銃器や勲章、その他、もろもろの戦争遺物を掘り出しては換金している連中だ。チンピラのなかにはナチを象徴するような刺青を彫ったスキンヘッド、ドレッドヘアーもいる。その日も4人はサンクト・ペテルブルグ市中から車を飛ばして発掘現場にやってくる。

 おもえば国土広く深くナチドイツ軍の侵入をゆるしたソ連欧州部はそこかしこ、無数の戦跡があるといってよい。レニングラードでは900日間、ドイツ軍に包囲され、甚大な被害を受けている。これをレニングラード包囲戦といい、その前線となっていた場所はすべて「大祖国戦争」(と対ドイツ戦をソ連時代に命名している)聖なる戦跡なのだ。そこにはまだソ連兵の遺骸も埋まっている可能性もあるのだ。だから、戦跡盗掘を描いた映画など旧ソ連では是認されなかっただろう。
 しかし、そこはしたたかなプーチン政権下、戦跡盗掘現場で4人の青年をお仕置き的に大戦下のソノ現場にタイムスリップさせてしまう。いまのお前たちの野放図で自堕落な生活も、かつて命を賭して戦った、おまえたちと同世代の英雄的な無視の精神によって実現したのだ。その現場をみてこい、その苦労を味わってこいと放り出したのだ。

 日本でも東京大空襲下にタイムスリップする青年の話があったが、このロシア映画のスケールは本格的だ。塹壕戦のリアリティはハリウッド並みだし、ソ連時代からモスクワと並ぶ映画制作の拠点であったレニングラードには大戦中の戦車や装甲車、ジープ、土を掘るシャベルや兵士の装備などがきちんとメンテナンスされている。それらが本作でも活用されスクリーンに奥行きを与えている。否応もなく当時の赤軍の階級制度下に置かれ、まったなしで白兵戦に狩り出される。
 その戦時下の時間のなかで積み重なれているエピソードが、チンピラ4人が21世紀のある日、掘り出した遺品の、それこそ物心性と絡んでゆく。その辺りはなかなかよくできたシナリオなのだ。デビュー当時のタルコフスキー監督だったら、その塹壕戦だけですばらしい映画を撮っただろう、とないものねだりの想像をしてしまう。

 戦死した若い赤軍兵士の遺品がキーとなって現代に戻ってきた4人。その時、かれらは非愛国的なチンピラではなく、ロシアイズムを体現する立派な帰還兵、青年となっているのだった・・・というオチをつける結構。プーチン政権下らしい結末ではないか? しかし、ソ連時代、赤軍兵士たちが夥しい血を流した戦跡を暴き、遺品を換金するなぞという行為はシベリア流刑もので、たとえ訓戒的にせよ、そんな墓泥棒たちの存在を認めるような映画が制作されるはずはなかった。
 *2008年制作・ロシア映画。アンドレイ・マニューコフ監督。104分。

映画の地球 公開中 フィリピン映画『ローサは密告された』

公開中 フィリピン映画『ローサは密告された』 ブリランテ・メンドーサ監督

f:id:cafelatina:20170810032102j:plain

 昨年、フィリピンに誕生したロドリゴ・ドゥテルテ大統領は麻薬密売組織に対して目には目を、と力の行使によって市長時代、地元の治安を目覚ましく改善したことで頂点に上り詰めたポピュリストだ。大衆迎合主義的な手法は時にヒロイズムに陥り、大局を見誤ることも多い。その政策の失敗を糊塗するためにいきなり強権を発動しがちだ。そういう政治家はたいてい第三世界に顕著に現れるものだが、21世紀は先進国でも主役になるようだ。

 人間は歴史に学ぶことを忘れる、否、忌避する存在かも知れない。反知性はポピュリズムの温床だ。米国でトランプ大統領のような政治家が出現するのは、それだけ世界は不安定化に向かっている。

 本作は、ドゥテルテ政権が誕生した後にフィリピンで公開された麻薬絡みの映画として特筆されるだろう。

 報道はドゥテルテ大統領下の麻薬犯罪者に対する容赦ない摘発を少々、スキャンダルに取り上げる。報道もまた視聴者の関心領域のなかで生きている。劇的に推移する事件ほど視聴率は上がる。特にネット空間のニュースはそういう傾向が強い。

 しかし、じっさいのフィリピンでの麻薬とは・・・どれほど市民社会に浸透しているものか、という虫瞰図式的な報道はほとんど見られない。本作は、その虫瞰図式的な方法でマニラの下町の夜を描写して説得力をもっている。臨場感に富んだ優れた映画だ。

 カメラは絶えずマニラの夜を徘徊するように動き回る。揺らぐ、そして、同時に町の喧噪、雑音も拾い歩く。熱帯の大気、庶民の体臭までスクリーンから溢れ来そうなドキュメントタッチの劇映画だ。そこでは必然、カメラは長まわしとなり、俳優は周到な演技力、むろん、街路、商店のなかの空間、物理的な制限そのものを小道具として演出する監督の力量もしたたかな計算をしている。

 街頭の雑音をそのまま効果音とするメンドーサ監督の「ノイズ主義」の作法はこれまでの作品に出てきたもので、監督の意志的な作劇法だ。

 ローサという初老の婦人が経営する小商いの雑貨商。生活費をかつかつ稼ぐ程度の店だ。日本的にいえば高度成長期前にあちこちに見られたヨロズヤ。雑貨だけの商いでは思うような収益は上げられない。そこで、いけないとは思っても麻薬の密売に手を出してしまう。麻薬はマニラに溢れ、その誘惑は巷に溢れている。ローサのような人は多い、という現実を根底に映画は成り立ち、説得力を持つのだろう。

 犯罪への加担は儲けに繋がる、しかし、何時、手が後ろに回るかわからないという危機感を絶えず自覚している。しかし、日々の必要が不安を覆う。しかし、ローサを足元を梳くってしまう夜がやってきた。

 密告によって警察が突然、闖入してくる。タバコのケースに少量、分配した麻薬はすぐ見つかってしまう。拘束、警察所での取り調べ。しかし、警察も汚染されている。

 「麻薬の取引は終身刑だ。20万払えば助けてやる」と脅される、いやマニラでは提案というものだろうし、警察と密売人との闇取引は第三世界では常態というものだろう。

 ローサに選択の余地はない。とりあえず、全財産を擲っても警察の言いなりになるしか方法はない。映画は、そのローサの行動をたった一昼夜の時間のなかで描いたものだ。

 妻としての顔、母親としての献身、小商い店主の苦労、密告したものへの怒り、警察とのやりとりにおける悲哀、絶望、そして釈放=解放、安ど、再度、また無から立ち上がっていかねばならない気持ちの整理、立て直し・・・人気の少ない朝の街頭、路天商からアイスクリームを買い、頬張るローサ。ジャクリン・ホセの演じるマニラの夜に同化したローサが演技が素晴らしい。第69回カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得したのも肯ける。

映画の地球 ラテンアメリカの映画 4 アルゼンチン映画『エルヴィス、我が心の歌』

アルゼンチン映画『エルヴィス、我が心の歌』アルマンド・ボー監督

f:id:cafelatina:20170809055959j:plain

 日本ではラテンアメリカ音楽はメインストリートにはなりにくい。言語的に遠隔感があって愛好者はたくさん存在していても主流にはなれない。だから正確な情報も共通理解とはなっていない。アルゼンチン音楽の主流はあくまでタンゴであり、メキシコ音楽ならトリオ音楽だと思っている人はいまだに多い。キューバなら映画の『ブエノビスタ・ソシァルクラブ』の影響から出ていない人も多いかもしれない。
 昨年もトリオ・ロス・パンチョスのSP時代の復刻CDの批評など書かされたが、そこでも現在のメキシコでは新しい生命を吹き込むことを久しく忘れた音楽と明記しておいたが、それを目にした人も少ないだろう。タンゴもまたそうである。アルゼンチン音楽の重要な要素であるが、日本で語られるほどリアリティのある現代音楽ではない。アルゼンチンの長い軍政時代、若者の息抜きとなってもっとも充実していたのはロックだ。チャーリー・ガルシア、フット・バエスなどは現在でもロック・エスパニョーラの歴史のなかで大きなスペースをもって語られる存在だ。・・・と書いてくれば、ここで紹介するアルゼンチン映画の『エルヴィス』が誰を象徴しているか了解できるだろう。そう、エルヴィス・プレスリーである。

 彼の歌に惚れ、彼の歌を身振り手振りコピーし、むろん衣裳も、そして声質も合わせて歌いつづけるしがない中年工員のうらぶれた話だ。そして、よくこなれた人生の哀歓ともいえるし、やさぐれた感じもあっても妙に説得力のある映画となっている。監督はとみればメキシコの才人アルハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品にシナリオ・ライターとして、あの緻密なドラマづくりに参加していたアルマンド・ポーがはじめてメガフォンを撮った作品であった。

 主演エルヴィス(=カルロス・グティエレス)を演じるジョン・マキナニーは実際にブエノス・アイレスでエルヴィスの声帯模写でしられた、日本で言えば寄席芸人で、これが初の映画主演となったそうだ。だから、そのステージ上のエルヴィス歌唱は堂にいっているし思わず聴き惚れるほどだ。しかし、それはエルヴィス人気があってはじめて実現している見世物であって、歌手としてのカルロスなどは無視される。
 若いときは、それなりに歌手としての野心、野望といった意欲もあっただろう。しかし、アイディンティティを抑え込んだ物まね芸に没入していくほど、歌手としてのカルロスの存在は消えていってしまう。いつまでも寄席芸から浮かび上がれず、やがて工員として生活の資を稼ぐ、社会保障もままならぬ低賃金労働者。エルヴィスに感化するほど自己を失っていくカルロス。そんな生活のなかで、やがてカルロスもエルヴィスが心臓麻痺のため死去した年齢42歳を迎え、その日が近づいていくことを認識せざるえない。

 カルロスは、その日をひそかに待っていた。準備していたといってもいいし、それが生きがいともなってもいたようだ。
 はじめての長旅に出る。行き先は米国メンフィスのエルヴィスの自宅グレースランド。エルヴィス終焉の地だ。カルロスはそこで自己完結しようとする・・・・。
こういう話はたぶん世界各地に実在していると思う。そして、そんな“事件”は酔狂な不幸として、ちょっと話題となり、やがてニュースの波に埋没してしまう。しかし、そういうことは確かに存在する。そういう人間実存の不可思議さをどこかで肯定しないと、おそらくこの人間世界を理解するとば口にも立てないのだろう。

*2016年5月、東京地区公開

映画の地球 ラテンアメリカの映画 3 映画『エバースマイル・ニュージャージー』

私的な歯痛体験もあって、気になるロードムービー
 ~映画『エバースマイル・ニュージャージー

 エバースマイル
 ダニエル・ディ=ルイス主演ということでラテンアメリカ映画の範疇で語ることを失念していた。台詞が英語で通されていることも勘違いの原因だが、これは紛うことなきアルゼンチン映画。まず舞台が大平原パタゴニア、監督も同国人なら撮影、脚本、助演陣みな達者な同国人だ。ただ英国系企業の資本で制作されたことでも錯覚したか……でもそんな情報はどうでも良い。この善意にあふれた、ドン・キホーテ的な時代錯誤感がほとんどわき見することなく真っ直ぐ語り尽くされる、ということで真にラテンアメリカ的ともいえる。
 主人公はアイランド出身でいまは米国ニュージャージー州に本部のある慈善団体「デュボワ歯科普及財団」から無医村ならぬ、無歯科医地域のパタゴニアに派遣され、歯の健康維持と治療をボランティア・オコーネル医師の物語。オコーネル、いかにもアイリシュ的な典型的な名である。
 エバースマイルとは、歯の健康にはよく磨く習慣が必要と、無償で配る歯ブラシに刻印された文字である。いかにもの命名である。そして、パタゴニアを疾駆するのはサイドカーに医療器具を載せたモーターサイクル。この映画から15年後、革命家以前のエルネスト・ゲバラの南米旅行を描いたロードムービーモーターサイクル・ダイアリーズ』(2004)が撮られている。アルゼンチン人はモーターサイクルで長躯の旅をする嗜好でもあるのかと思ってしまう。
 行く先々での人々との出逢い、そこで起きる日常的を善意で掻き乱される田舎の人びと。日本的な情感でいえばハレとケの交わりの物語だ。茫洋と退屈な時間が民衆に流れている。オコーネル医師の到来は、予期せぬ大道芸人の来演のようなものだ。それが治療行為という具体的な善行がともなうから人との関係性が濃密になってゆく。しかし一期一会。ローマ法王を輩出した国だけに、カトリック修道院の奥深く、歯痛を神から与えられた受難と受け止め治療を拒む老聖職者の姿なども描かれて興味深い。
 挿話のひとつにハイテク設備を積み込んだ日本製の歯科医療ワゴンカーというのがTVのニュースで紹介される場面がある。それを見ていて、そうかアルゼンチンでも日本の歯科医療器具の有能性が注目されているのかと感じ入った。というのは、筆者が中米ホンジュラスを旅しているとき、どうにも収まらない歯痛に耐え切れず、首都テグシガルパの歯科医に駆け込んだことがある。確か、日本大使館に電話して推薦できる歯科医はいませんかと尋ね、紹介してもらった歯科医であった。
 「あなたは日本人か?」と聞くから、「そうです。保険にも入っているので後で領収書を書いてください」と言い、ついでに「この治療台や器械類はまるで日本と同じですね」と言うと、「その通り、日本製ですよ」という。良く聞くと、日本の歯科医療器具は日進月歩で古くなると途上国に輸出されているのだそうだ。「日本の器械は世界一でしょう」とリップサービスか、そう強調したのだった。
 『エバースマイル~』のオコーネル医師が日本の治療ワゴン車を知って思わず目を見張るシーンで、テグシガルパで座った日本製治療椅子の感触を思い出したのだった。後で保険で返金された治療代だったが、これは筆者が保険に入っていること見越した金額だと思った。同国のフツーの人がとても払える金額ではない金を取られた。
 アルゼンチンに限らずラテンアメリカ諸国はオコーネル医師のようなボランティアが必要だ。たぶん、よほどの善政にでも恵まれない限りは、永続的に……。
 *カルロス・ソリン監督作品。アルゼンチン映画。

映画の地球 ラテンアメリカの映画 2 日本で最初に公開されたアルゼンチン映画『黒い瞳の女』

日本で最初に公開されたアルゼンチン映画
 『黒い瞳の女』マヌエル・ロメロ監督
yjimage (2) アルゼンチン映画について書いたついでに。最近、フィルムセンターで1939年、アルゼンチンで制作された映画『黒い瞳の女』が修復されニュープリント版の完成披露が2日のみ行なわれたので、その話題から。
 同映画の日本公開は1941年。12月8日、連合艦隊がハワイの真珠湾空爆して太平洋戦争がはじまった年だ。そんなキナ臭さただよう9月、東京でアルゼンチン映画が初公開され、翌10月には、つづく交歓事業の一環で『薔薇のタンゴ』が公開されている。ちなみに開戦直前の11月には米国、フランス映画も公開されていることは注目されていいだろう。日本政府が最後まで対米開戦を避けたいという気配がそうした映画の公開に反映しているのかも知れない。 
 アルゼンチン映画2本の公開は、同国との文化交歓事業のひとつであった。開戦と同時に米国と同盟関係にあったアルゼンチンは他の中南米諸国とどうよう対日戦争の当事国となったわけだから、それこそ戦前、最初にして最後の同国映画の公開となったわけだ。その時、交歓で日本からアルゼンチンに送られた事業とはなんだったのだろうか、興味のあるところだ。当時、アルゼンチンには約7000人の日系社会があった。
 さて、『黒い瞳の女』の原題は “la vida es un tango”だから、「タンゴこそ人生」となるだろうか。昭和10年代には東京にもタンゴ楽団が誕生していたから原題を邦訳しても良かったと思うが、タンゴプラス恋愛映画として売り出したかったのだろうか、チェーホフの短編のような題名になった。
 監督は1930~40年代に量産といってもよいぐらいの作品と脚本を書いたマヌエル・ロメロ。手馴れた展開の早い演出、構成に監督の熟練度がみてとれる作品だ。内容はなんてことはないストーリー。タンゴ歌手になりたい大学生が飛び入りで三流劇場のステージに立ち喝采を受け、やがてフランスまで進出してゆくも、やがて飽きられ自信を失い、精神的に声が出なくなり、うらぶれて帰郷、そして再起して名声を取り戻す、という実に小気味よい起承転結に富んだ娯楽映画で、その歌手の岐路に絶えず方向を与え、励まし成功に導き・・・という存在が「黒い瞳の女」という最愛の伴侶というわけだ。
 いうまでもなく取り立てて評価する材料のない作品だが、アルゼンチン映画の日本での公開がタンゴから始まったことは記しておくべきだろう。
 当時のアルゼンチンは政治的には政争に明け暮れていたものの冷凍船の技術が進み、同国の主産物である牛肉の欧州への輸出が伸びたり、英国の資本が大量に入り込むなど南米諸国のなかではもっとも富裕化が進んでいた、貧富の格差も・・・。当時、南米でもっとも識字率が高かった、という数字が残されているから初等教育はだいぶ改善されたのだろう。また、ミュージカルや映画ともなった「エビータ」ことエバ・ペロンが映画界に活動を開始していた時代でもあった。
 アメリカ地域におけるスペイン語圏では同国はメキシコと並ぶ映画量産国であった。当時のアルゼンチン映画、音楽界での大スターはリベルタ・ラマルケであったが、ファーストレディとなったエビータによって国外追放された(異論もある)。失意のラマルケは、チリに逃れ、メキシコ渡り、やがて世界的な名声を得ることになる。メキシコもアルゼンチン同様の映画・音楽の購買力が民衆にあったから活躍できたといえる。 eiga